ヨーロッパ・アルプス 見たこと、聞いたこと


ヨーロッパ・アルプス、そこは期待を裏切らないすばらしい所でした。と同時に、行ってみたら予想もしていなかったこともありました。やはり何処に行っても旅は新鮮で楽しいものです。山歩きの途中に体験したちょっとしたことを、少し書いてみました。


オーストリア

1、ノー・プロブレム
スイスの山小屋はどうだったか良く覚えていないのだが、オーストリアのチロルのエッツタール(Oetztal)で泊まったシミラウンヒュッテ(Similaunhutte)とマルチン・ブッシュ・ヒュッテ(Martin-Busch Hutte)の山小屋は、手を洗う所が少し広い部屋だった。たしか英語でウォッシュ・ルーム(Wash Room)と教えてくれたように思う。ウォッシュ・ルームと言っても、何か特別の物が有る訳ではない。トイレの近くの仕切られた細長い部屋で、壁に沿って5、6個の水道の蛇口と長いステンレスの水受けがあり、入り口に扉があるだけの何の変哲も無い部屋である。

最初のシミラウンヒュッテに泊まった時は、ただの手洗い場所だと思っていた。次のマルチン・ブッシュ・ヒュッテに泊まって、最初に使った時に床がびしょびしょに濡れていたので何故かなと思った。次に入った時に男の人がパンツ1つで石鹸を使って水道水でジャブジャブと身体を洗い最後に乾いたパンツに着替えていた。ウォッシュ・ルームと言う意味も、床がびしょびしょなのもこれで理解ができた。
それにしても、山小屋の水道水は猛烈に冷たい水だ、この水で身体を洗う気にはとてもなれない。ヨーロッパ人はそんなに綺麗好きだったのだろうかと驚いた。

夕方近くになって、用を足して手を洗うのに、ウォッシュ・ルームの扉をバタンと開けて入ろうとしてビックリした。今度はご婦人がパンティー1つで身体を洗っているではないか。「ア、アイムソーリー」と言って急いで出る背後から「ノープロブレム」と婦人の声が返ってきた。キャーーとかいう叫び声など何処にもなく、何とも落ち着いた声の返事が良かった。

このウォッシュ・ルームは複数あったが、何故か男女の区別を表示してない。女性が入っていれば女性用で、男性が入っていれば男性用となるらしい。
単なるウォッシュ・ルームだが、何か沢山奥の深い文化の違いを示してくれたような気がした。




2.バスの乗り越し、乗り遅れ、手前で下車、
4日間の間にバスの「乗り越し」、「乗り遅れ」、「手前で下車」の3つをやってしまった。しかも「乗り遅れ」と「手前で下車」は同じ日だった。その言い訳と反省を書いてみます。


@乗り越し
ザルツブルグ(Salzburg)からサンクト・ギルゲン(St.Gilgen)にバスで向かう。ザルツブルグ駅前から出るバスは沢山有り、行き先を間違わないように運転手に確認し、サンクト・ギルゲンに着いたら教えてくれるようにお願いした。時間通りに出発したが直ぐに大渋滞。原因は自転車のロードレースが行われていたためだ。30分も40分も殆ど動かない。運転手がイライラしてサングラスを付けたり外したりしている。ようやく動き出して暫く行くと今度は工事中で一方通行。何とか順調に走り出した時には1時間も遅れていた。運転手はバンバン飛ばす。

湖が見え、もう直ぐサンクト・ギルゲンらしいと分かったが、次の停車駅を示すバスの表示盤の駅名と手元にある時刻表の停車駅「サンクト・ギルゲン・バーンホフ」の「バーンホフ」の所が一致しない。下りる所は運転手が教えてくれるはずと、座っていると、何名かが下りて発車した。暫く行くと町からどんどん離れて行く。これはおかしいと運転手に聞くと、「ここにちゃんと駅名が表示してあったではないか」
と表示盤を指して私に怒る。怒りたいのはこっちの方だ。大分走って次のバス亭で、「あの家でタクシーを呼んでもらえ」と言われてスーツケース2つと共に降ろされてしまった。

降りたバス停の周りには小さなホテルが一軒見えるだけ。スーツケースを押して、ホテルに入り、女主人に事情を説明してタクシーを呼んでもらうよう頼んだ。電話してくれたがタクシーの空きが無いそうだ。今晩泊まるホテルの名前を言うと、もう一度電話をかけてくれたが、そのホテルの主人が出かけていて迎えには来られないとのこと。こんな時は安ホテルは全く無力だ。女主人がバスの時間を調べてくれてあと20分後にサンクト・ギルゲンへ行くバスがあると教えてくれた。親切な女主人にお礼を言って、またスーツケースを押してバス停に戻った。

30分待っても40分待ってもバスは来ない。Mieが嫌なことを言い出す。「さっき乗り越したバスが戻ってくるのとちがう?」、だとすれば大分遅れる。
悪い予感は当たった。バス停で1時間も待ってやっと来た。運転手はサングラスを付けたさっきの運転手だ。我々が乗り込むと、ニヤッと笑って「サンクス、アゲイン」とぬかしやがった。幾らだといったら、タダにしてくれた。
ザルツブルグから40分で着く筈が、結局3時間以上もかかってようやくサンクト・ギルゲンのバス停に着いた。

運転手は、渋滞で帰りが遅くなるのでイライラして、教える約束を完全に忘れてしまったに違いない。しかし、教えてくれるものと信じた方も間違いだった。もっと疑い深い人間にならなくては、と思う。


A乗り遅れ
サンクト・ギルゲンからツェル・アム・ゼー(Zell am See)に移動する途中、スーツケースを別送して、オーストリア第1の高峰グロースグロックナー(Grossglockner)のフランツ・ヨーゼフ・ヘーエ(Franz-Josefs-Hoehe)に行くことにしていた。
予定通り、早朝、バスでサンクト・ギルゲンからザルツブルグに移動し、電車に乗り換えた。定刻発車、細い谷を約1時間半、クネクネと列車が走る。ブルック・フーシュ(Bruck-Fusch)という駅で下りてヨーゼフ・ヘーエ行きのバスに乗り換えるが、列車が遅れているようで、着時間になってもまだ列車は走っている。手元の時刻表の接続時間を見ると7分しかない。7分が過ぎ、15分経ってようやくブルック・フーシュの駅に着いた。バスが待っていてくれることを祈って急いで降りて、駅員に「バスはもう発車したか?」と聞くと、「バスまではコントロールしていない」との冷たい返事。バス停の場所を聞いて走ったが、誰もおらず、もう行ってしまった後らしい。

ヨーゼフ・ヘーエの日帰りができるのはこのバス1本のみ、行くのを諦めざるをえなかった。お金をかけてスーツケースを別送した意味も無くなった。身体から力がスーと抜けて行くのが分かった。

我が滋賀県のローカルバスは、列車がかなり遅れない限りは待ってくれるのが普通なのだが、ここではそうではなかった。ここはやはり外国、接続時間に余裕を持ったスケジュールにしておかないと計画がパーになるという苦い経験でした。


B手前で下車

バスに乗り遅れてフランツ・ヨーゼフ・ヘーエに行けなかったので、予定を変えて短時間で行ってこられるモザー・ボーデン・ダムへ行くことにし、ツェル・アム・ゼーの駅前からバスに乗った。「終点まで行くのだ!」、これを頭に叩き込んで乗ったはずだった。
次々とバス停に停まり、乗客が乗ったり降りたりして、大分山深く入ってきたバス停で乗客全員が立ち上がり降り始めた。オーここが終点だ!、と我々も降りた。降りると、近くにゴンドラが見える。おかしい、終点にはゴンドラは無いはずだ、と思った時にはバスは誰も乗せずに走り去っていた。降りたのは1つ前のバス停だった。

次のバスの時刻を見ると1時間後、待っていられない。仕方がない、車の走るアスファルト道路を歩くことにした。バスなら数分で行く距離だが、結構な登り坂で30分も費やして汗びっしょりになってようやく終点のバス停に着いた。

まさか、客が全部降りたバス停の先に終点のバス停があるとは思わなかった。Mieは、「あんたは、ほんとに思い込みが激しいんだから」と非難ごうごう。ただ黙って怒りの収まるのを待った。



3.クレジットカードで日本に電話をかける方法は?
オーストリアの公衆電話ボックスの多くには、日本語で説明が書かれたシートが貼ってあります。早速クレジットカードを使って日本にかけてみた。日本語ガイドが聞こえて手順通り進めてこれで終わりという時に、突然オペレーターが出てきて、英語で「あなたのクレジットカードの住所を言え」と言う。「カードナンバーか」と問うと、「違う、住所だ」との返事。番地から順番に全部言うと、正しく住所を言えなかったのか、正しく聞いてもらえなかったのかは分からないが、「貴方のカードに住所が該当していないので他のカードを使ってもう一度電話をせよ」、という。日本語ガイドが英語に変わるのも変だし、住所を言えというのも変だと思ったので、日本に電話をするのを諦めた。

違った町に行った時にもう一度トライしたが、結果は同じであった。だいたい住所と言っても町や市や県を日本語読みでそのまま登録してあるのか英語に直して登録したものなのか全く記憶がない。該当する住所ではないと言われても修正のしようもない。これ以降、オーストリアではインターネット喫茶がある所でのみ日本に電話した。

スイスや他の国ではクレジットカードを使って、国外ナンバー、国ナンバー、相手先ナンバーと、順番に入れて行けば即つながるが、オーストリアは方法が違うのだろうか、それとも私のかけ方が悪かったか、オペレーターの言うことを聞き間違えたのか、何が正しくなかったのだろうか。このままでは、まるで喉に小骨が引っかかっているかのようで気持ちが悪い。どなたかクレジット・カードでオーストリアから日本に電話をする方法をご存知の方がおられましたら、是非教えて戴きたいと思います。




スイス


1.今日が昨日?
グラン・ムンテ小屋(Cabane de Grand Mountet)から下りてきて、ようやくジナル(Zinal)の村に着いた。日本から予約をしていた宿を探しあて、受付に行く。女主人が出てきたので、名前を言うと、不機嫌な顔をして、「貴方の予約は昨日だ、昨夜遅くまで待っていたが来なかった」と言う。
頭の中にあった私の暦が一瞬グジャグジャになりかけたが、昨日泊まった山小屋の日にちは間違ってなかったし、日本からこの宿に予約を入れたときにもあれほどチェックしたのだから日にちを間違うはずがない、と思い直して、「今日は何日か」と聞くと、「7月22日だという」。ザックからe-mailのやり取りのコピーを取り出して見ると、7月22日とある。穴の開くほど見ても7月22日だ。宿の名前も合っている。

女主人に、「7月22日は昨日か」とコピーを見せると、女主人も目を皿のようにしてメイルを読んでいる。「メイルに書いてある名前は誰か」、と聞くと「私の主人だ。主人が間違えたようだ」、と急に態度が変わった。
良かった、泊まれる、と思ったら、「今日はいっぱいで部屋が無い」という。「どうしてくれる」と言いたかったが言葉を知らない。「どうしたらいい」てな言葉を言ったら、「他の宿を探すので、少し待って欲しい」ということになった。

外にいたMieに事情を説明すると、頭に来た上に疲れがどっと出たらしく、その場にしゃがみ込こんでしまった。
女主人が出てきて、「宿を探す間、ここのレストランのテラスで何か飲んで待っててくれ、料金は要らない」と言ってきた。2人揃って「ビール!」と返事して、やっと少し元気が出てきた。

タダのビールでごまかされ紹介された宿は、ゴンドラ駅に近い便利の良いところだったが、ここの女主人の言葉は全部フランス語、全く英語を話さない。ボデイランゲ−ジだけで意思疎通をするという難行苦行の一泊となった。

e-mailのコピーを持っていなかったら、更にどんなひどい一日になったかと思うと、ぞっとする。



2.チー、ター、トー
レイヒェンバッハ(Reichenbach)の駅からグリースアルプ(Griesalp)へ行くには、ボンネットもボデイも小さなおもちゃのようなバスに乗る。上下一車線の見通しの悪いカーブに来ると、「ピー、ポー、パー」と突拍子も無く大きな音のクラクションを鳴らす。

前の席に一才にも満たない赤ちゃんを抱いたお母さんと、そのおばあさんとおぼしき2人が座っている。話している言葉はフランス語のようだ。バスのクラクションが鳴ると、お母さんがクラクションの音を真似して赤ちゃんに言って聞かせている。「ピー、ポー、パー」ではない。「チー、ター、トー」と言っているようだ。暫くしてまたクラクションが鳴った。間違いない。「チー、ター、トー」と言って赤ちゃんをあやしている。

擬音(オノマトペ)は日本と外国で違うのは知っている。ただ、英会話で雄鶏の鳴き声は、クッカドゥドゥルドゥーなどと教えてもらうのと同じように、親から子へ順送りに教えられて次第に発声が決まってきたものと思っていた。ここのバスのクラクションの音もお母さんが赤ちゃんに言って聞かせているように、お母さんも子供の頃に教えられて「チー、ター、トー」と言うようになったのだろうか。いや、そうではないような気がしてきた。聞く耳に関しては、何かが日本人とは根本的に違っているような気がしてきた。

Mieならどう言う、と聞いたら、「パー、ポー、パー」かなと言う。前の席のお母さんのように「タ行」ではない。私の「ピー、ポ−、パー」と同じようにMieもやはり「パ行」だ。「タ行」に聞こえる耳はいったいどんな耳なのだろうか。しかし待てよ、フランス語に「アイウエオ」は無いはずだから、「タ行」は変だな、しかし「チー、ター、トー」はやはり「タ行」だなー。百歩譲って「ター、トー」は良いとしても「チー」は無いよなー、などと答えのない自問自答を繰り返す内に前の席のお母さんとおばあさんはバスを降りていった。

しかしやっぱり不思議だ、いったい何がこの違いを生むのだろうか、今でも時々「チー、ター、トー」のクラクションの音がふっと耳に聞こえてくるような気がする。



3、スイスの鉄道は快適だった?

正確な運行時間、綺麗な車両、素晴らしい景色、停まった時に自動で開かない扉、低いプラットホーム、改札口が無い駅、アナウンスも無く発車する列車など、旅行案内書に書いてある通りで、概ね快適な列車の旅をすることができました。しかし乗ってみると考えてもいないことを体験したり目のあたりにしたりして、色々と考えさせられた列車の旅でもありました。4つほど挙げてみます。


@車内で沈黙
チューリヒ(Zurich)からクール(Chur)に移動する時、2階建て車両の一階の座席に座った。女房と話を始めると、前に座っていた婦人が口に指をあてシーというしぐさをし、窓を指差す。

見ると、左のようなラベルが窓の隅に貼られてある。クアイエット・エリア(Quiet area)とある。私語、携帯電話、ウォークマンなどは駄目とイラストで書いてある。周囲を見渡すと乗客は皆本を読んだり居眠りをしていて話し声一つ無く、列車の動く音以外は何の音もなくシーンとしている。車両全体がQuiet area らしい。とんでもない車両に乗ってしまったものだと思ったが、しょうがない、約一時間の間、外の景色を眺めるだけの沈黙の旅となった。

やっとクールの駅が近づき、降りる支度を始めると、前に座っている先ほどの婦人が、
「 Quiet area 車両で御免なさい、2階席は普通の車両なんです」と英語でおっしゃる。早く言ってほしかった。

もし、日本にもこんな車両ができたなら、良いのやら悪いのやら。


A荷物別送(ライゼゲペック;Reisegepack)は便利だけれど
グリンデルヴァルト(Grindelwald)からツェルマット(Zermatt)に移動する途中にゲンミ峠(Gemmipass)を歩くので、スイス鉄道のサービスの荷物別送システムを利用してスーツケース2個を送ることにした。目的の駅まで当日中に荷物を送ってくれるので、移動中はデイパックだけを持って歩けば良く、一日まるまる快適なハイキングを楽しめるという離れ業ができるのです。

グリンデルヴァルト発6時39分の列車に乗るので、前の日に駅で明朝何時に駅が開くのかを聞いた。6時から開くと言う。荷物を預ける時間は十分にあると踏んで、当日朝タクシーで6時10分に駅に着き、切符を買い、荷物別送の窓口に行った。しかし、窓口が一向に開かない。中に係員がいるのでどうなっているのか隙間から尋ねるとライゼゲベックの受付は7時からだという。
切符の窓口は開けといて隣の荷物の窓口を開けないとはどういうことか。そこに停まっている列車に乗るのに7時からの受付とはとんでもない。
というような意味のことを言いたかったが、どんな言葉を発したか、とにかく英語で抗議した。そしたら窓口が開き受け付けを始めてくれた。喜んで荷物を窓口で渡したら、今度は切符の窓口へ行けという。受け取り書の発行と金の支払いは切符の窓口だという。あたふたと済ませてやっと列車に乗れた。それにしても何故荷物窓口の開く時間が違うのだろうか。

荷物別送(ライゼゲペック)の受取書

当日着なので2個で倍額のCHF40.00を払った。受取書を見ると、ツェルマットでの荷物受け取り時間は20時45分となっている。もっと早くならないのか聞いたが荷物の載った列車が着く時間がその時間なので早くならないという。

この日のハイキングも無事終わり、ツェルマットに着いた。荷物を受け取ってから予約していた町外れのホテルにチェックインするのでは遅くなりすぎるように思ったので、先ずホテルにチェックインした。次に駅が閉まってしまっては大変なので、荷物の着く時間前に駅に戻り列車が着くのを待ってスーツケースを受け取り、ホテルに帰った。この間、高くて遅い電気自動車のタクシーに2回乗り、循環バスにも1回乗って、行ったり来たりの世話の焼ける別送荷物となった。

もし夕方駅に着いた時に、別送荷物は先に着いていて即受け取ってホテルへ向かう、という具合なら、さすがスイス鉄道とほめ言葉も言えたのだが。

追記
翌年スイスを再訪した時、シエール(Sierre)駅からチューリヒ(Zurich)駅にスーツケース2個を再び別送した。この時分かったことが2つあります。
・荷物別送(ライゼベック)の手順は、受付と支払いを切符の窓口で先ず済ませてから、送る荷物を荷物窓口に持っていきます。グリンデルヴァルドでは手順が逆でした。
・シエール駅での荷物別送受付開始時間は何と10時からでした。駅によって違うようです。切符の窓口が開いていても、その駅で決められた取り扱い時間にならないと、荷物別送の受付をしてくれません。事前にその駅の荷物別送取り扱い時間を必ず確認しておく必要があります。



B列車のトイレからストンと下が見える

始めて気がついたのはルツェルン(Luzern)からインターラーケン(Interlaken)に向かう列車だったと思う。トイレに入って下を見ると枕木と砂利石が叉の下を飛んでいく。オーこれは昔懐かし垂れ流しのトイレだ。幹線路線の列車の時はちゃんとしたトイレだったように思うが、少なくともグリンデルヴァルトやツェルマットに向かう登山鉄道のトイレは下が開けっぴろげのヤツだった。

「停車中は列車のトイレは使用しない」、これは昔日本の常識だったのを思い出した。「列車よ停まるなよー」、と念じながら用を足したものだ。今の若い人はこんな常識をご存知だろうか。

ツェルマットの駅構内の線路の上を良く見ると、白いちり紙らしきものがあちらこちらに落ちていた。これがトイレからのものでないと祈りたい。大らかに考えれば、放牧された牛や羊の糞尿と大差が無いと言えなくもない。しかし、美しいスイスのイメージからはちょっと想像できにくいことではあった。

スイスのハイキングトレイルは結構線路に沿って歩く所や線路を横切る所があります。気をつけるのは走ってくる列車だけではありません。霧を被らないように、それに落ちているものが無いかも気をつけましょう。


Cどっちの列車がツェルマット行き?

ツェルマットからサースフェーにハイキングに行くには、ツェルマットから約1時間列車に乗ってシュタルデン(Stalden)の駅で降り、バスに乗り換える。このトラブルは帰りのシュタルデンの駅で起こった。

サースフェーのハイキングも無事終わり、シュタルデンでバスを降り、駅舎の前の線路横でツェルマット行きの列車を待つ。左から列車が来て駅舎の手前の線路に入って来た。少し遅れて右からも列車が入ってきて奥の線路に停まった。
「朝、ツェルマットから来た時は手前の線路に停まったような気がするナー、もしかしたら奥の列車に乗るのかな。だけど方向は逆のような気がするなー」と不安になり、駅員がいたので聞いた。
「手前の列車に乗れ」と言う。
デッキに近づき乗ろうとしたとき、たまたまそこから車掌が出てきたのでまた聞いた。
「この列車は違う、奥の線路に今入ってきた列車に乗れ、この列車が出たらこの線路を渡れ」と言う。
手前の列車は直ぐ出発して行った。奥の線路の列車に歩き始めた我々の姿を駅員が見て急いで寄ってきた。
「何故乗らなかったのか」と言う。
「車掌に、奥のあの列車に乗れと言われた」と説明すると
「オー・マイ・ゴット」と言って天を仰ぎ「今のに乗れと言ったではないか。次は2時間待たねばならない」という。
何がどうなってるのか狐に摘まれたようでしばしぽかーん。でもしょうがない、この時間に夕飯を食べることにして、駅員にレストランの場所を聞いた。親切に教えてくれた。
美味しく食べて駅に戻り駅員にお礼を言い、列車を待つ。先ほどと同じように左から列車が来た。アレー、今度は奥の線路に入って行く。手前の線路には右から来た列車が入って来た。2時間前とは停まる場所が逆だ。朝来たときと同じだ。怪訝な顔の我々に駅員が遠くから大きな声で
「今度は間違うなよ」と言ってくれる。

しかし、なんでだろう。日本で「上り」と「下り」の入る番線を、列車が来るたびに変えてたら、客は黙っていないだろう、と思う。

変なトラブルでしたが、何も無ければ行くこともなかったシュタルデンのレストランは、駅から右手の坂を上がったT字路の正面にありました。花いっぱいのレストランで、英語のメニューが無くチンプンカンプンでしたが、スパゲティー・ボロネーズを頼んだらそれは美味しいものでした。ハプニングもまた楽しです。






シュタルデン(Stalden)のレストラン









4.窓辺の花の水遣り
スイスでは、上の写真にあるように何処に行っても窓辺いっぱいに咲く美しい花を見ることができる。ホテルやアパートでは3階、4階、5階と一番上の階の窓辺まで花で埋まっている。フトあの花に水をどうやってあげるのだろうと気になった。我が家でも鉢植えの花を窓辺や軒下に置いてあるが、水遣りは私の仕事、結構大変なのだ。
ジョウロで水遣りをするのだろうか、あんな高い階の窓辺まで幾らなんでも大変すぎる。などと思ってツェルマットの町を歩いている時、2階建ての家で窓辺の花に水を遣っている所に出くわした。長いパイプの先端がU字になった散水パイプで2階の窓辺の花に水をあげている。日本の観光客も足を止め、これを眺めて一様になーるほどと感心して通り過ぎる。

だが、もっと高い階の窓辺はどうするのか、疑問は残ったままスイスを離れイタリア・ドロミテのカナツェイのホテルに泊まった。このホテルもスイス同様窓辺は花いっぱいで、泊まった5階の部屋のテラスも花で溢れた大きなプランターが並べられていた。何の気なしに花の隙間を覗くと水道管のようなビニールパイプが見える。アレッと思い他のプランターを見ると同じようにパイプがある。小さな穴が開いていてキッチリ配管で繋がれている。なるほど自動給水の散水パイプが敷かれているのだ。これなら液肥で肥料もやれる。手間無しだ。スイスも同じかどうかは分からぬが、1つの回答を見つけてほっとした。

この配管、素人がやったようには見えないかっちりしもので専門の業者の工事のようだ。とすると、この花いっぱいのプランターも、レンタル植木と同じように専門業者が持ってきて設置して、、、、と考えを巡らしてきたら、少し花がしぼんだように見えた。

追記
翌年、オーストリアとスイスを再訪した時に泊まったホテルは小さなホテルばかりだったせいか、水の配管のあるプランターを見ることはなかった。また花の綺麗なスイスの村・グリメンツ(Grimentz)の民家では、3階などの窓辺のプランターにジョウロで水遣りをしているのを何度も見た。やはり労力をかけて花を可愛がっているのだ。そう思うと、一層花が綺麗に見えた。



5.ホテルで次々起こった不思議な出来事
ツェルマットでマッターホルン方向の町外れのアパート(ホテル)の一室を予約し一週間泊まった。町の中心からはちょっと遠かったが、一階の部屋ながら遮るものもなくマッターホルンが見え、窓を開ければベランダ続きに芝の庭が広がるなかなか良いところだった。
土曜日の夕方に着いて、買ってきた牛乳やジュースを冷蔵庫に入れようと扉を開けたら中が何となく暖かい感じで冷えてない。フロントの受付の女性に言うと愛想よく受け答えしてくれて、直ぐリペアー(修理)担当者をよこすしてくれた。あれこれ触っていたが結局駄目で、冷蔵庫を交換するが明日は日曜日なので月曜日になると言う。こういうこともたまにはあると、牛乳とジュースを預けて了解した。

月曜日の夕方帰ってみると新品ではないが冷蔵庫はちゃんと動いていて無事解決した。と思っていたら、水曜日の夕方帰ってみるとまた冷蔵庫が冷たくない。それに、2人泊まっているのにバスタオルが一本しかかかっていないし、ベランダへ出る窓の鍵が掛かっていない。
「これはいったいどうなっているのか」と思い、
冷蔵庫に入っていたハムやチーズやビールやワインを抱えてフロントに行き、受付の女性にクレームする。何時も愛想の良いフロントの女性が今度は謝るでもなく事務的な受け答えで終始した。冷蔵庫は明日交換すると言う。

木曜日の夕方帰ってみると、冷蔵庫は新品になりキッチリ冷えている。窓も閉まっている。やれやれと思ってトイレに行くとバスタオルがまた1本しかかかっていない。遂にカリカリと頭にきた。フロントに行くと何時もの女性はおらず、男性が座っている。
「このホテルはチェンバー・メイドにどんな教育をしているのか」と怒ったが、
「何かの手違いだった」の一点張り。
しょうがない、バスタオルを届けさせて終わりとした。

翌金曜日の朝、フロントにいつもの女性がいたので、昨日もバスタオルが1本しか無かったことを話すと、
「昨日の夜にその話は聞いた。だが、昨日の午前中にチェンバー・メイドと一緒にチェックした。バスタオルがちゃんと2本置いてあるのを確認した」と言う。
「エッ、貴方がチェックしたのか」と聞くと
「そうだ」という。
「それならどうして1本なんだ、不思議ではないか、何でや!?」というと
「不思議だが、何でか私にも分からぬ」とぬかす。

スイスの不思議はとてもじゃないが、私の手に負える不思議さではなかった。
それでも、金曜日の夕方は今度こそ何事も無かったし、翌土曜日の早朝にホテルをチェクアウトすると、ホテルの電気自動車で駅まで送ってくれた。



6.シャンペのホテルのエレベーター
ツール・ド・モンブランの4日目、イタリアからスイスに入った所で、リゾート地・シャンペ(Champex)の町の4階建ての小奇麗なホテルに泊まった。ツール・ド・モンブランで5泊した中の一番りっぱなホテルで、エレベーターがある。ボタンを押したら下りて来た。しかし待っても扉が開かない。そうです、スイスの鉄道と同じく扉は手で開けるのです。ここまでは直ぐ分かったのだが、中に入って驚いた、エレベーターの扉がない。あるのは各階の扉だけ。4人ほどしか乗れない小さいエレベーターで、スタートボタンを押したら、グーンとモーターの大きい音を出しながら、目と鼻の先の壁がスーと動いて行く。何とも恐ろしげな乗り物でした。
ホテルにあるエレベーターだからちゃんと認可されたもののはずだ。だとすると、ここで怪我や事故があっても自己責任か。
なるべく乗らないようにして階段を歩くことにした。



フランス


1.ツール・ド・モンブラン、6日間の同行者
同行者を紹介してもしょうがないとは思うが、この人達を見ていると、何となくヨーロッパの世界に少し触れることができたような気がしたので少し書いてみます。

・ベルギー人の中年男性
ブリュッセルでデベロッパーの仕事をしていて、従業員を10人を雇っている。英語がペラペラ。日本語の単語が時々出てくるので聞くと、兵役除隊後2年間世界を一周した。「ナゴヤ」に6ヶ月いて、ここを足場に日本のあっちこっちを旅した。「セントウ;銭湯」は気持ちが良かった。「カネ」を稼ぐのに「サカリバ」で「シャシン」を売って生活した。「コユビ」の無い「ヤクザ」に「テラセン」を払った。「ミズショウバイ」の「オネエサン」は綺麗だったなー、とのこと。
驚いたやつだ。「盛り場」という言葉を最近聞いたことも使ったこともなかったので最初は何を言っているのか判らず何度も聞きなおしてしまった。

(¬括弧の中は彼が話した日本語の単語)

・スイス人夫婦とその息子
チューリッヒに住んでいる。おやじさんは小学校の校長をしていて昨年定年退職した。英語は話さないがフランス語を話す。奥さんを「フレンド」と紹介していたし苗字が違うので結婚はしてはいないようだ。奥さんは優しそうな人で、フランス語も英語も話す。息子も小学校の先生。英語を良く話す。子供に音楽や水泳を教えなければならず大変だと言いながら楽しそうな顔。小学校は1クラス30人以下で、昼休みは2時間あり、その間に子供は家に帰って昼ごはんを食べてくる、とのこと。正にゆとり教育、ゆとり家庭だ。

・イギリス人夫婦
中年でロンドンの西のほうに住んでいる。話すのは英語だけ。職業は分からない。冗談大好きの旦那としっかり者といった感じの奥さん。1エーカー(帰ってから調べたら約4000uの広さだ)の農園があり湿度コントロール付きの50mの長さの温室がある。この中で色んな野菜を作っている。カエデなどの盆栽を作っていて冬はこの温室に入れる。日本ではイングリッシ・ガーデンが人気だと言ったら、日本式のサンクン・ガーデン(帰って調べたら、Sunken garden;沈床花壇、一段低くして、池や噴水などをあしらったもの)を造るのが夢だと言う。「ブッダ」を置き、自然石を置き、赤いコイが泳ぐ池を造りたいと奥さんが目を輝かせて言う。
この奥さん、我々夫婦がホテルのレストランのテラスで生ビールを飲んでいるのを見て、女房に「婦人がビールを飲むのは変だ」と言う。英国人の婦人はビールを飲まない、など今まで聞いたことがなく、いまだにその理由が判らない。もしかして英国上流社会の女性はビールを飲まないのだろうか。それとも女性にはTPOでのビールのマナーがあるのだろうか。


・フランス人女性
パリに住む若い女性。英語を少し話すが、ものすごく静かで殆ど話さないので何をしている人か分からない。ツール・ド・モンブランのハイキングの後に引き続いて日本人のリーダーで氷河歩きをすると言う。

・女性の山岳ガイド
オーストリアのウイーン生まれ。前は体育の先生だったようだ。独・仏・英語を自由に話す。許可無しにはガイドの前は歩かせないし、ちょっと危なっかしいトレイルの所では前を歩く許可は絶対出さない。親切だが厳しいガイドでした。

・運転手
ギリシャから来ている若い男性。いかにもギリシャ人という堀の深い顔立ち。フランス語と英語を話す。山から我々が下りてくるのを待っている間、何時も英語の勉強をしていた。富士山の高さが3776mで、ケーブルで上がれるシャモニーのエギュイユ・デュ・ミディ(Aig. du Midi)が富士山より66m高い3842mだ、と教えてくれた。


道中、政治の話題もありましたが、これを話す英語力はなく難しくて話題の中に入れませんでした。しかし、全員の意見が一致したもの、それは”ブッシュは嫌い”ということでした。



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