4日目、 パリア〜モリノ・パンパ
      (Paria〜Molino Pampa)
   



歩いた日:2007年6月7日

コース Paria→(1h45min)十字架→(1h)学校→(2h45min)Molino Pampa
       合計時間:5h30min  最高標高:3,900m 標高差:下り600m、上り300m


4日目は、ワリパンパ(Huaripampa)の谷に沿って下り、農家が点在する集落を通り、サンタクルス・トレック(Santa Cruz Trek)のコースからケブラーダ・ウルタ・トレック(Quebrada Ulta Trek)のコースに入ります。

今朝も快晴。だが、ボールペンが書けない。胸の中で暖めたら書けるようになった。寒さにせいだ。
朝7:45、体調も良く元気に出発。キャンプ地を出て直ぐ、後ろで大声がするので振り返ると、裸馬が1頭、こちらに向かって疾走してくる。ビックリしてトレイルを空けたが、我々を見て横の藪に駆け込んだ。別のパーティーの馬で、追いかけてきたロバ(馬?)使いが捕まえようとするが、鼻息荒く今度は川を飛び越えて逃げて行く。おとなしそうに見える馬も、時には耐えられなくなる時があるようだ。

ワリパンパ(Huaripampa)の谷、
後はタウリラフの山
馬が放牧されている


パリアのキャンプ場を出て暫くはワリパンパ(Huaripampa)の谷幅は狭いが、次第に広がりを増し、気持ちの良い平地になる。ここでもまだ3700mほどの標高がある。振り返れば昨日直ぐ横を歩いてきたタウリラフ(Taulliraju 5,830m)が朝日に白く輝いて見える。

快調に歩みを進めると、道は生活道路になり広くなる。畑が姿を現し、人里に近づく。下に民家が見え出すと、村人が羊の群れを追いながらすれ違って行った。
途中小さな子供が道端に立ったり座ったりしている。通り過ぎようとすると、キャラメーロ、チョコラーテと小さな静かな声で手をそっと差し出してくる。ガイドに「どうすれば?」と聞くと、「彼等は貧しい。持っているお菓子を少し上げて下さい」という。毎朝、行動食用に貰っていたお菓子が大分余っていたので、これを分け与えた。
昔、エジプトの観光旅行で小さな子供の物乞いに何度も遭い、彼等が遠慮会釈無く付きまとい、裾やズボンを引張ってお金を要求してくるので閉口したのを思い出した。しかし、ここの子供はおとなしい。国民性か、山の中の子供のせいか。

集落に近づく 羊を追う村人


立派な教会を右下にみて、日干し煉瓦の家が点在するワリパンパの集落の中に、トウモロコシだろうか何かがくくりつけられた大きな十字架の立つ高台を通る。この高台からはチャクララフ(Chacraraju 6,112m)の山が村を見下ろすのどかな景色をみることができる。

十字架のある高台から見る集落とチャクララフ(Chacraraju 6,112m)の山


この谷はアンデス(ブランカ山群)を越えた東側にあり、このまま更に東にどんどん行けばアマゾンに通ずることになる。ペルーの地図を見るとこの下流域に沢山の村や町が点在していて、この村はそのどん詰まりということだ。

道は砂利道ながら次第に自動車が通れる幅になり、緩い下り坂を進むと、サンタクルス・トレックの道と分岐するコルカバンバ(Colcabampa)の村に入る。標高はまだ3300m程もあるが今日の一番低い所だ。小学校だろうか壁が青く塗られた小さなコンクリー作り学校の前を通る。
村の周りの傾斜地は畑になっていて、その中にルピナスの畑があった。ガイドに聞くとルピナスの実を食用として採る為に栽培しているとのこと。下山後、町のバザーを覗いてみたら、確かにルピナスの実が売られていた。

谷を振り返る。コルカバンバ(Colcabampa)の村、
左上の青い建物は学校
ルピナスの畑


コルカバンバの村を過ぎ、サンタクルス・トレックのコースから別れると、道は登りになり、チャルワ(Challhua)とかマチコ(Machco)といった村の中を通る。ここにも学校があり、階段状の狭い敷地に作られた驚くほど小さなンクリートの校庭で中学生くらいの子供達がバスケットやサッカーをして走り回っていた。


砂利道の車道の登り勾配は次第にきつくなり、歩きにくい。車と言えば途中、トラックに2度出合っただけだが、猛烈な砂埃にはまいる。高度が上がり振り向くと、歩いて来たワリパンパ(Huaripampa)の谷が綺麗に見下ろせ、その奥に真っ白な山が連なって見える。地図を見て、途中見え隠れしていたチャクララフ(Chacraraju 6112m)とそれに連なるピラミデ(Piramide 5,885m)やパリア(Paria 5,600m)の山なみであることがわかった。天空に白く浮き上がって見える。

 山は左から、尖った先端を見せるチャクララフ(Chacraraju 6112m)、中央ピラミデ(5885m)、右端の相似峰の左側はアルテソンラフ(Artesonraju 6025m)、右側はパリア(Paria 5600m)

歩いてきたファリパンパの谷と、
ピラミデとパリアの山並み


車道がイチック・ウルタ(Ichic Ulta)の谷に入ると、今まで見えていた村や山は視野に入らなくなり、替わりにコントラヒエバス(Contrahiebas 6,036m)の山なみが正面に見え出す。この山の右端が2日後に越えるヤナヤク峠(Punta Yanayacu 4,850m)に連なっているはずだが、ここからは良く分からない。

コントラヒエバスの山


モリノ・パンパのキャンプ


車道と別れ、イチック・ウルタの谷に少し入った所でモリノ・パンパ(Molino Pampa 3,600m)のキャンプ地に着いた。午後1時15分だが昼食はまだ、しかも今日はロバ隊と殆ど同時到着で、テントを張り昼食の準備ができるまで、暫く待った。



昼食後時間が十分あるので周りを散策。近くの岩場に目の覚めるような色の綺麗な花を咲かせたサボテンの群落があった。

テント場の近くで咲くサボテンの花とその群落


クイ(Cuy、モルモット)

キャンプの近くに養魚場があり見に行く。そこに食用のクイ(Cuy)が飼われていた。モルモットのことで、ペルーではレストランでも食べられるクイの郷土料理がある。丸焼きらしい。


夕食前、日が山に隠れどんどん寒くなっていく最中に、小さな子供3人を連れた母親が、テントから10mほど離れた所で子供をマントでくるみ、じっと座ってこちらを見ているのに気がついた。暫くしてコックが近寄って何やら話をして、テントの近くに座らせスープをあげた。Mieが今日残ったお菓子を3人の子供の手に握らせたが、「何と冷たい手」と驚いていた。
彼らはスープを飲むと静かに立ち去って行った。




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