ペルー山歩き 見たこと感じたこと

 1.寄付

トレッキングをする地域は、まだ相当貧しい地域があるようで、ブランカ山群やインカトレイルのガイド会社は、子供や学校に教材を贈るなどの支援活動をしている。トレッカーにも協力を呼びかけ、鉛筆やノートなどの学用品の寄付を要請している。何がしかの物でも喜ばれると書いてあった。
鉛筆とノート等の学用品に、まだ綺麗な大人の古着を数着、貧しい村人にあげようと日本から持っていった。余分な荷物になったが、ワラスのホテルでガイド会社の担当に「どうしたら良いか」と聞くと、「トレッキング途中の村であげたら良い」とのことで、ロバに積んでもらって運ぶことにした。
村を通る前日の3日目、ロバから荷物を下す時に、ガイドが「ロバ使いとコックの4人に寄付をあげたら喜ぶ」と言ってきた。彼らも貧しいと言えば貧しいし、村人を見つけてあげるのも難しいかもしれないので、ちょうど古着も4着だし、「まあいいか」、と古着を夕食前に1人づつあげる準備をしていた。そこにガイドが近づいてきて、女性用のフリースを見つけて、「俺のワイフにプレゼントしたい、もらえるか」、と言ってうれしそうに横取りしていった。1人分が無くなり学用品をその分沢山あげて、何のことはない、持ってきた寄付は、結局全部パーティーのスタッフにあげるハメになった。

寄付をきちっと目的の所に届ける難しさを思い知らされた。



 2.ホテルのトイレと、トレッキングのトイレ

ペルーのホテルといっても、泊まったのは安宿ばかりだったせいかもしれないが、下水菅が詰まるからだろうか、拭いた紙を流しては駄目で、トイレに置かれたゴミ箱に必ず入れなければならない。ゴミ箱と言っても特別のものではなく、蓋があるのは良いほうで、大抵はちり紙入れの丸いプラスチックの入れ物だった。拭いた紙を目の前の入れ物に入れるのも抵抗があるが、意識していないと、つい忘れて便器に紙を落としてしまい、紙を拾うべきかどうか悩み抜くことになる。
約20日間のペルー滞在が終り、経由地のロスアンゼルス空港でトイレを使い、紙が流れてすーっと消えていくのを眺めた時は、気持ちもスカーットして、何ともいえない開放感だった。

トレッキングのトイレはどうだったか? 色々あったので、下図の便器のイラストをベースに少し解説します。

便器の種類       タイプAのトイレのテント

タイプA:
ブランカ山群のトレッキングのトイレ。移動式のテントの中に地面に穴を開けただけのもので、便器は無い。移動時にはテントをたたみ、穴をうめる。このトイレが人間工学的に優れていると思ったのは、テントの入り口にポールが立っていることだった。毎回移動の度に穴を開け、テントを支えるポールを立てるのだが、穴とポールの位置関係が何時も具合が良かった。このポールを両手でつかみ中腰になると、極めて安定感良く尻の位置を保つ事ができ、使いにくいことは全くなかった。

タイプB:
インカトレイルのキャンプ場にあった常設のトイレ。普通の西洋式トイレの形をしているが、蓋もなければ便座もない。腰をかけることができない上に高さがあるので、尻を便器に触れないように保つのが極めてむつかしい。尻持ち上げの中腰姿勢がとれず、力も入らず、出るものも中途半端で終わり、爽快感全く無しの最悪のトイレ。
正しい使い方を知っている方があったら参考に教えて欲しい。

タイプC:
これもインカトレイルのキャンプ場にあった常設のトイレ。日本式のトイレと同じようにフラットな便器。ただ、足の置き場がはっきりしていて、そこに足を乗せれば尻が正しい位置になるという優れもの。ただ、西洋式トイレに慣れた身には、中腰で尻を安定させるのが難しく、トイレの両方の壁に手を添えて、何とかバランスを保つ苦しい姿勢になるのが最大の難点。

インカトレイルのキャンプ場には、他に、ちゃんとした西洋式のトイレもあったが、蓋も便座も汚くて、どうやって使うのかと思うほどの汚れようだった。
残念ながらインカトレイルのトイレは全般に汚い。多分、トイレの数が1日の入山制限人数500人のキャパに足りないのと、掃除が不十分なのが原因だと思う。少々インカトレイルの料金が高くなっても、トイレを根本的に見直して、早く改善されることを期待したい。



 3.地図と高山植物図鑑の本

ペルーで買わねばならないと思ったのが、地図と高山植物図鑑の本だった。
ブランカ山群に入る前にリマで1日あったので、本屋を探したが、行ったところが旧市街と博物館近辺だったせいか、見つからなかった。

ブランカ山群の基地・ワラスに入って、本屋を探したが、やはり見つからない。繁華街のガイド会社の小さなショーウインドーに、ブランカ山群の地図が置いてあるのがやっと目に入った。「売り物か」と聞くと、「そうだ」と言う。10万分の1の地図で、値段を聞くと、答えは70soles(約2,800円)。「ウワー高い」、と言うと「オーストリア製だ」という。他には何処にも売っていなかったので、しぶしぶ買った。高かったがブランカ山群のトレッキングでは、現在地や山の特定などに、この地図は大いに役立った。また、同行したオーストラリアの男性も、この地図を度々見せてくれと頼んできた。帰ってからもHPの体験記を書くのに役立った。
後でよく見たら、このブランカ山群の地図は、オーストリア・アルペン・クラブ(Oesterreichischer Alpenverein)の監修と書いてあるのが分かった。今では100%買って良かったと思っている。

ワラスの繁華街にあったガイド会社の小さなショーウインドーには、花の本もあった。見るとビニールが被った所謂ビニ本タイプで、タイトルが「インカトレイルの花」となっている。中は見られないし、インカトレイルの花ではしょうがないと思い買わなかった。
ブランカ山群のトレッキングが終わり、インカトレイルを歩くためにクスコに入った。ここでも本屋を探し、やっと一軒小さな本屋まがいの店を見つけた。売っている高山植物の本はやはり「インカトレイルの花」のみで、ビニ本タイプ。買うのを諦めた。
帰国前日に再びリマに戻って今度は新市街に行った。沢山の本屋があったが売っているのは「インカトレイルの花」の本のみ。ペルーには英文の花の本はこの本しか無いようだと判ったが、やはりビニ本。値段は何処の本屋もUS$20。買うか買わないか大分迷ったが、中身の分からないものを買えるかと、意地を張って結局買わなかった。買わなかったばっかりに、沢山写真を撮ってきたペルーの高山植物の名前が今もってさっぱり分からず、そのままになっている。
リマの本屋を見て分かったのだが、周りに置いてある写真付きの本や豪華本は、殆どがビニールで覆われていて、中が見られないようになっている。何とも不便な本の売り方には違いないが、今では「郷に入っては郷に従え」を実践してこなかった自分が悪かったと思っている。

追記(2010. 08. 29)
2010年の5月にブランカ山群をトレッキングされてこられた東京在住のKさんが、行く前に上記のボヤキの文を読まれたようで、「ブランカ山群の花の本を余分に買って来た。送るので住所と名前を知らせてほしい」というメールが突然入り、ビックリ。ペルーのガイド会社で手に入れられたそうで「Wildflowers of the Cordillera Blanca」という本です。街の本屋には置いていなかったように思います。送って戴いたお陰で3年以上ほったらかしにしてあったペルーの花の写真が日の目を見ました。
全く思ってもみなかった花の本が手に入り感謝感激でーす。



 4.警官とガードマンと高い塀

ブランカ山群の体験記の中で、ワラスのホテルが高い塀に囲われ、入り口は昼間でも閉まっていて、入るにはインターホンで話をして鍵を開けてもらうことや、インカ・トレイルの体験記の中では、夜、真っ暗な中でテント場の両端にポーターが座って盗難がないか見張っていることを書いたが、首都リマでも、古都クスコでもこれに類する光景を見た。

先ず、リマの町もクスコの町も警察官がやたら目に付いた。観光ポリスと言われる観光客専門の警察官が要所要所に沢山立っている。リマの新市街では警察官の他にも店の入り口に立つ男がやたら目に付いた。多分ガードマンだと思う。小奇麗な店なら必ず立っていた。歩道を歩けば、警察官かガードマンに直ぐぶつかるほどの多さと感じた。
リマのホテルは民宿のような宿だったが、ワラスと同じく高い塀で囲われていて、看板などは無く、タクシーで帰って来た時には同じような塀のある家ばかりがずーっと並んでいて、塀に表示されている番地だけが頼りだった。
クスコのホテルと言えば、塀はインカ時代の石組みがそのままで、小さな入り口は鍵こそ掛かっていなかったがガードマンが見張っていた。夜遅く帰ったら扉はしまり、扉の下の暗い石畳の上でガードマンが毛布にくるまり丸くなって座っていた。セキュリティーの点で言えば、ペルーは日本に較べて考えられないほどのハイレベルと言えます。

少し話はずれるが、ワラスからリマに移動するバスに乗るときに、夜の11時なのにガイド会社のスタッフ2人がバスの発車駅まで送ってくれた。彼等は各方面行きの長距離バスが次々と発車する中、係員に預けた荷物が全部正しく私達が乗るバスに積まれたかを確認すると、これで大丈夫といった顔をして、別れを言って帰って行った。わざわざ送りに来てくれたと思ったが、荷物が正しく積まれるのを確認するまでが彼らの仕事と理解した。

こんな国で、何か危ない目にあったとか、何かが無くなったとことはないのか、と聞かれれば、それが全然無かった。移動時には多少のトラブルはあったが、恐い目や物をとられることなどは全く無かった。これは、沢山の警官とガードマンと高い塀のお陰なのかなと思っている。



 5.夫婦の距離

ペルーのトレッキングの写真のファイルを知人に見せたら、「仲がいいなー、夫婦の写真は何時もぴったり寄り添ってー」と言う。「いや違う、外国、特にヨーロッパ人などに夫婦で写真を撮ってもらう時は、離れていると変に思われて気持ちよくシャッターを押してくれないんだ」と説明した。言い訳のようにとられたかもしれないが、これは事実だ。
ニュージーランドで写真を撮ってもらうのに、少し隙間を開けて立ったら、もっと寄ってというので、引っ付いたら「グッド」と言ってシャッターを押してくれたことがあった。それ以来、海外で撮ってもらう夫婦の写真はいつの間にか距離が接近したものになった。
知人に言われた後に、日本で夫婦2人で最近撮った写真がないか探してみたら、日本の山で撮ったのが数枚見つかった。何れもちゃんと離れて2人の距離を保っている。
置かれた文化の違いで、我々夫婦も大分変われるもんだと感心した。 しかし、

マチュピチュの麓のアグアス・カリエンテスのホテルにチェックインした時、係員が「ベッドはダブルを用意している」というので、ツインに変えてもらった。部屋に案内してもらう途中で、係員が「貴方達は兄妹か」と聞いてきた。「いや違う、どうして?」というと、「ツインのベッドを頼んだので兄妹かと思った」という返事だった。 
私の寝相が悪いので、今まで、ツインベットの部屋をできるだけ頼んできたが、もしかして、これまで、夫婦と見られていなかったのかも知れない、と気がついた。

ヨーロッパ人の老夫婦が手をつないだり、腕を組んで歩く姿は、決して悪いものではないが、自分達老夫婦が手をつないで歩いたことは、山で手助けする時や雑踏ではぐれそうな時以外、外国であろうとも、一度もない。ヨーロッパ圏の文化は分かっていても、その国で手をつないで歩くなどということは、我々老夫婦にはとてもできない。

夫婦の写真ぐらいは、それらしく振舞えるが、「絶えず、ひっついているのを見せないと、夫婦とはみなさない」、という西洋文化とは随分と距離があるように思う。




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