4日目 ウィナイ・ワイナ〜マチュピチュ
(Winay Wayna〜Machu Picchu)


 歩いた日:2007年6月16日

コース:Winay Wayna Camp→(10min)Machu Picchu Control(20min)→(45mn)Inti Punku(40min)→(25min)Machu Picchu
合計時間:1h20min  歩行距離:5km  最高標高:2,700m  標高差:下り300m


朝4時起床。今日はいよいよマチュピチュ遺跡に入る日で、インティ・プンク(太陽の門)から朝日の当たるマチュピチュを見下ろすため、早朝の出発。
所が出発間際に眼鏡をかけていないことに気がついた。何処においたか記憶が無い。色々考えて昨日の晩にテントの中のサイドポケットの中に入れたのをようやく思い出した。既にテントはたたまれていて、ポーターが担いで山を下りる寸前で間一髪。テントの番号を覚えていたので直ぐ開けてもらう。出てきた。レンズは両方とも枠から外れていたが幸いにも割れていないし枠もOK、助かった。壊れていれば、日本に帰って暫くは運転ができないと思っていたので、ほっとした。レンズを枠に入れようとしたが無理。日本に帰って眼鏡屋で治してもらうまで、眼鏡無しとなった。


 テント場を5時10分に出発。まだ真っ暗でヘッドランプを点けて歩く。出発して直ぐマチュピチュ遺跡のコントロール・ゲート前でストップ。まだゲートが開いていないという。15分ほど待たされてようやくチェックが始まり、初日と同じくパスポートにスタンプが押された。

ゲートには、インカトレイルを歩く各パーティーが全部集まった感じで、5時半に一斉に歩き出す。皆、早足。途中明るくなってきてランプが不要になると、ますます皆必死で歩く。遅れると後から来る別のパーティーに次々と抜かれてしまう。はぐれはしないかと心配になり息を切らせながら付いていく。最後の登りを頑張ってインティ・プンク(太陽の門、Inti Punk 2,700m)に6時15分に着いた。汗びっしょり。
7時頃にならないと朝日は当たらないことが後で分かって、何で皆こんなに急いだんだヨー、と文句を言いたい。
 インティ・プンク(太陽の門)で
マチュピチュに朝日が当たるのを待つトレッカー


  インティ・プンク遺跡の石組みの上に思い思いに座り、マチュピチュを見下ろす。

インティ・プンクに立って始めてマチュピチュが見える。きっとマチュピチュを造ろうと決めた時から計算された見晴らしポイントだと思う。想像していた通りの素晴らしい眺めだ。雲が忙しく動く。
ここは、インカトレイルを歩いた人だけのマチュピチュの入り口で、現在は裏口のようになっているが、インカ時代はここが正規の入り口だった。
インティ・プンクから見るマチュピチュ遺跡
右の山はワイナピチュ
マチュピチュ遺跡の拡大



 朝日が山に当たりだした頃に、マチュピチュ遺跡を目指して歩き始める。約300mの標高差を下るが石畳や石段の道幅が広くなり、山側と谷側にりっぱな石組みが見られる。山の景色を別にすれば京都の神社仏閣の参道を歩いているような錯覚を覚える。
朝日の中のマチュピチュへの道 マチュピチュに入る



 マチュピチュの中心に入らずにインカ・ブリッジの入り口がある高台の方向に進む。ここからは、マチュピチュの凡そが見下ろす事ができ、背後のワイナピチュの山が借景となって、絵葉書にもある代表的な景色が見られる。

全員でインカトレイル完歩を祝って集合写真を撮る。朝日の中にガスがマチュピチュの上を覆い正に神秘的。

 
朝日が当たりガスが流れる中、全員で集合写真 ガスが晴れたマチュピチュ
崖にまで段々畑がある



   

暫く眺めた後、石段を下り、現在の正規の入り口に行き一旦外に出る。マチピチュ史跡内はデイパック程度は持ち歩けるが、ストックは駄目なので預ける。コーラとパイで腹ごしらえをして、再び遺跡内に入り、ガイドの説明を聞く。

遺跡は思ったより広く、色々な建造物があるが、その内容は様々な所で詳しく紹介されているので省略しますが、ちょっと印象に残った所のみを取り上げてみます。

左の写真は遺跡の中で見たコカの木です。この木の細長い葉を煎じて飲むのがコカ茶でペルーに入ってからは毎日飲んできました。日本に持ち込むことはできません。コカインの原料でもあります。この木は小さな庭に植えられていました。

 コカの木



 他の建造物とは違った異質な石がありました。下の左の写真の岩で、大きいものではありあせん。ガイドの説明によると、谷を隔てた向かいの山の形に合わせて作られた岩だということです。似てるようには思わなかったのですが、帰ってから撮ってきた写真を見て、背後の高い山ではなく手前の低い山の形に似てるのな気もします。

マチュピチュと言えば、尖った岩山のワイナピチが有名ですが、三方は蛇行したウルバンバ川の切れ落ちた深い谷に囲まれていて、その周りにも急峻な岩山が聳えています。尾根続きのもう一方にもマチュピチュ遺跡の名前のもとになったマチュピチュ山も聳えていて、周囲どこを見ても素晴らしい景色が見られます。
背後の山の形に合わせて作ったという石造 岩山に囲まれたマチュピチュ



   石組の方法は大体3種類あるようです。クスコの遺跡でもインカトレイルの途中の遺跡でも、ここマチュピチュの遺跡でも石組の方法は共通しています。
先ずインカと言えば有名なカミソリの歯も入らないほどの隙間の無い石組ですが、この石組は接合面を磨いてあるそうで、重要な遺跡・例えば神殿やそれに近い施設に見られます。
次は隙間はあるが、きちっと組まれた石組です。もう1つはセメントのような接合材を使った石組があります。訪れる前は隙間の無い石組ばかりと思っていましたが、重要な場所であったかどうなど、その場所によって3種類の石組方法が採られていたようです。

10時半にマチュピチュの案内が終わり、インカトレイルのトレッキングは終了した。
午後2時迄に麓の村アグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)のレストランに集合することで、後は自由時間になった。
 マチュピチュの
隙間の無い石組



 私達はマチュピチュから更に奥に道があるというインカブリッジに向かった。マチュピチュの中心部から約40分歩くと、その先は危険なので通行禁止になっている。そこから眼下に木の橋が見える。丁度、マチュピチュ山の真下に当たり、垂直の壁を真横に横切る石組みの道が見え木が渡されている。敵の侵入があった時に、この木を落として、通行できなくする仕掛けということらしい。

この道の先は深くて急峻な山に向かっている。どこへ繋がっていたのだろうか。

インカ・ブリッジ インカブリッジの拡大写真



   インカ・ブリッジへ行く途中の道からは、マチュピチュ遺跡の尾根の真下を流れるウルバンバ川が良く見える。この川はアマゾン川へ流れ込むそうだ。


明日、再度マチュピチュ遺跡に来て、左右に聳えるマチュピチュ山とワイナピチュ山を登る予定なので、今日はひとまず集合場所のアグアス・カリエンテスにバスで下る。有名なグッバイ・ボーイのいるバスだ。グッバイ・ボーイは、ちゃんと組織化されているようで、次々と下るバスに対応できるよう、何人もの民族服を着た子供がいる。走り終わると、途中で運転手がバスを止めて乗せてあげ、客からチップを戴くという寸法だ。



ガイドが指定した線路脇のレストランに行く。同行したパーティーの大方は既に着いていた。ビールやワインを飲んで盛り上がっている。昼食を注文し、食べている間に、チップを集める紙袋が廻ってきて、お金を入れた。2日目で遅れてガイドに一番お世話になったカナダの女性から、ガイドとアシスタント・ガイドにチップが渡され、歓声と大きな拍手で締めくくられた。

 ウルバンバ川、写真の上部が下流


 他の人は夕方の列車でクスコに戻るが、我々夫婦は、アグアス・カリエンテスのホテルに泊まるので、ここで分かれる。賑やかに別れの挨拶をしてくれた。

ホテルに向かって暫く歩くと、後からアシスタント・ガイドが追いかけて来た。何か忘れたかと思ったら、「我々の持っているストックを売らないか」という。「ペルーではストックは高いので、もし持ち帰るのが大変なら、売って欲しい。他のトレッカーに役に立つ」と言った内容だった。「日本に帰ってもストックは必用なので、売るわけにはいかない」と断り、引き返してもらった。
そういえば、出発日にストックが無い人は木の真っ直ぐな杖を買っていたが、先ほど分かれたレストランでは、その杖が束になって置いてあった。長い棒なので持ち帰るのは確かに大変だが、出発地の店に持っていって再び売られるのだろうか。





inserted by FC2 system