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 海外にでかけると、それまで思っていたものと違うことや、予想もしていなかったことなどに遭遇し、失敗したり、驚いたり、戸惑ったりすることがしばしばある。しかし、そんな時こそ、その国の自然や文化を知るチャンスにもなり、自分の国や自分の生活と比べてみる良い機会にもなる。
 海外の山を歩けば、よりその国の自然を深く味わうことができ、ありのままの生活を垣間見るチャンスも増える。それが何かの役に立つのかと言われると、うーんとうなってしまうが、何か新しいことを見たり知ったりすると、どういう訳か嬉しい気分になる、そんなことだけでも、すばらしいことだと思う。
 ニュージーランドの山を歩いて、見たり、知ったり、気がついたりした、まあ、どうでもよいものを集めてみました(記載日のない文は2003年に書いたものです)。

ニュージーランドで 見たこと、感じたこと

     
1. ニュージーランドの雲 (記 2009. 3. 15)

ニュージーランドの山を歩いていると、時々面白い形をした雲を見ることがある。「歩きながら、たまたま空を見上げたらこんな雲が見えました」というだけで、雲を解説する知識を全く持ち合わせていませんが、その幾つかの写真を掲載してみます

巨大な円盤。トンガリロ・ノーザン・サーキットで 気がつくと、いつの間にか複数の円盤になっていました

東の空に、朝日に光って規則正しく縞模様の雲が並んで暫く消えませんでした
トンガリロ・ノーザン・サーキットで
これは、恐らくは、飛行雲だと思うのですが、鮮やかな白一本でした
トンガリロ・ノーザン・サーキットで


猛烈な強風の中、この雲は動くことなく、同じこの場所に浮かんでいました。小さくなったり大きくなったりはしましたが、殆ど雲の形は変わることはありません。動かないというよりも、同じ場所に次々と雲ができると言った方が正しのかもしれません。
マウント・クック、タズマン氷河の山で
真ん中の雲が竜のようにクネクネと動き、頭の先がどんどん伸びて行きました。
トンガリロ・ノーザン・サーキットで



 2..化・習慣の 

(1)真夜中の体験 (記 2009 3 15)

 2回目のニュージーランドの山歩きも無事終わり、北島の温泉地・ロトルアに1泊した。有名な間欠泉を見て、湖畔の温泉プールに入り、レストランで夕食の後、ホテルに戻り眠りに着いた。そして朝まで熟睡の筈だった。

ギーア、ギーアというとてつもなく大きな連続音で飛び起きた。聞いたことが無い音で、部屋の中で何事かが起こったのかと電気を点けて見回すが異常はない。時計を見ると2時。ドアを開けて廊下に出るとギーア、ギーアの音が一段と大きく響く。前の部屋の扉からも顔が出る。横の部屋から赤ちゃんを毛布に包んだ夫婦が飛び出して走り出た。「これは火災報知機の音だ、避難だ」と女房に言って、たまたま椅子に干してあった雨具を羽織ってパジャマにスリッパで非常口に走った。続々と部屋から出てきて非常階段は行列状態だが、押し合うことも無く下りてホテルの玄関前の広場に出た。既に大きなはしご車が2台着いている。消防士が建物の中に入っていく。見上げるとホテルは5階、何処からも煙は見えない。次々と避難してきて、皆広場に一塊になって待機する。裸足の人も多い。何も持たずで寝巻きのままの人が大半だ。
下りてくる人がまばらになって、サリーを巻いた夫人達が最後かと思っていると、アジア顔の女性が完全に着替えて靴を履きハンドバックを持ってあたふたと出てきた。これで全部出てきたかなと思ったら、次に中国語を話す男が背広姿にネクタイをしてキャリアー付のバックを引っ張って走って出てきた。
どうやら、早い避難はヨーロッパ系、遅い避難はアジア系、物を持ち出すのもアジア系と、避難した人達は認識したに違いない。

30分ほどして、ようやく火災報知機の音が止み、責任者らしき人が現れて、調べた結果、火災は無く安全なので部屋に戻って下さい、というような大した謝りもしない説明があった。避難した客の誰一人として何の文句も言わずに部屋に戻った。
日本でなら、1人や2人、火災報知機の点検はしていたのか、とか文句をいう人が出てくる場面と思うが、ヨーロッパ系の人達は火事でなくて良かった、と喜んでいるのだろうか。

翌朝、眠い顔でホテルをチェックアウトしたが、フロント係は火災報知機の騒ぎについて一言も無く、もちろん謝罪の謝の字もなかった。ホテルとしては、火事も無く全員無事だったのだから、何の問題も無かったということなのだろうか。
まー、何はともあれ、「ホテルで遭難!」、てなことにならなかったのは幸いでした。


(2)山小屋の食事

 外国で、山小屋の1つ屋根の下で、全然知らない人と過ごす一時は、普通の宿では味わえない体験ができて面白い。特に食事を作る人、食べる準備、使う食器など、見ているだけで、ヨーロッパ文化との違いを思いきり知ることができる。

 @食事は誰が作る
 1人で山小屋に来ている人は別にして、食事を作るとなれば、そのグループの誰かが作らねばならないが、ヨーロッパ系のカップルや家族連れでは、その仕事は例外なしに男の役目といって良い。1つのシーンを再現してみよう。
 
{男性が夕食を作っている。連れの女性は少し離れたテーブルに肘をつき、椅子に座って足を組み本を読んでいる。料理の途中に、男が鍋とスプーンを持って読書中の女の所に行く。女がスプーンで鍋からちょっととり、それを口にする。ウンと首を縦にふり、また本に目をやる。味の了解をもらった男はキッチンテーブルに戻り、バーナーに火をつけ、再び料理を続ける。ようやく料理ができ、男は2人分に分けて皿に盛り、女がいるテーブルに運ぶ。できた料理を二人は楽しそうに話をしながら、食べ始めた。 結局、男が料理を作っている間、女は読書を続け、その場から動くことはなかった}

 という具合で、こんなことは山小屋だけのことなのか、それとも家でも何時でもそうなのか。まあ、どちらにせよ、日本の男に生まれて良かったなー、と、このときばかりは、しみじみ思った。山小屋で、何度となくヨーロッパ男の料理作りを見ている女房は、次第に、「料理作りも、皿洗いも、男の仕事よ」、と押し付けてくるようになった。しかし幸か不幸か、日本男の働きぶりのぎこちなさや要領の悪さに、いつも見かねて、日本女の仕事を手放すことはなかった。女房と日本文化に感謝し乾杯。

 A作る所と食べる所
  歩いたグレート・ウォーク(Great Walk)の小屋ばかりでなく、グリーンストン・トラックやリーズ・ダート・トラックの小屋も、料理を作るクッキングテーブルと食事をするテーブル(食卓)は分かれていた。使う人も、特に夕食では、はっきり区別して使っていた。食卓の上にバーナーを持ってきてお湯を沸かしたり、煮炊きすることはないし、食卓の上で、お皿に料理の盛りつけをすることもしない。山小屋と云えども、これらは全てクッキングテーブルの上でしてから、食卓に運ぶ。山小屋も自宅も、同じように振舞っているように見える。
 鍋や鉄板焼きを食卓の上でする習慣が無い彼らからすると、食卓は食べる所に決まっていて、山小屋で1つのテーブルの回りで何でもするなどというのは、もってのほかのことらしい。
 
 B食器
 私達が取り出した食器はボール状のもので、彼ら・ヨーロッパ系が使っているものは平皿の食器。あれれ、形が違う、と、ニュージーランドの山小屋で、食事を作りだした時に初めて気がついた。
日本で山用の食器を買う時に、何の疑問も持たずに組食器を購入したのがボール状のもだった。ニュージーランドの山道具の専門店で見ると、確かに食器セットは平皿で、スープ用のみがボール状になっている。日本に帰ってから、平皿の組みセットが売られているか、山道具の専門店で捜してみたが、全部ボール状のもので、平皿のものは展示していなかった。
 すっかり洋風化してしまったと思っていた日本の食文化が、基本的な所では、ちゃんと生きていることを、こんなところで知ることができ、嬉しくなった。しかし、考えてみれば日本の山で、ナイフとフォークで食べている人は見たことが無いし、ヨーロッパ人が山で箸を使うはずも無いので、食器が違うのが当たり前なのだが、ニュージーランドの山小屋に行くまでは、彼らの食器が我々のものと違うとは思いもしていなかった。
 日本人は、ほとんどの山小屋で私達だけだったから、食事を作るときや食べる時、彼ら・ヨーロッパ系の視線を感じることが多かった。何を食べているのか興味があったかも知れないが、ボール状の食器も彼らの視線を集める1つの理由だったかもしれない。


(3)裸足

 原住民のマオリの話ではありません。ヨーロッパ系の人の話です。
 靴は山小屋に入る前に脱ぐことになっているので、靴下でベッドまで行き、ザックからサンダルを引っ張り出して履くようにしていた。ヨーロッパ系の人を見ると、そのまま靴下でいるか、はだしで歩いている。だいたい床はそんなにきれいではないので、スリッパかサンダル無しでは気持ちが悪いと思うのだが、彼らにはそんな感覚は無いようだ。  
 グリーンストン・トラック(Greenstone Track)のマッケラー・ハット(Mckeller Hut)に泊った時に、雨の中、ニュージーランドの女性がはだしのまま、戸外のトイレ(水洗ではない)に走って行き、用を足してくるのを見た時には、何か根本的な所が違うような気がした。
 
 別に裸足は山小屋だけではなく、クライストチャーチ(Christchurch)やクイーンズタウン(Queenstown)の繁華街で、若い女性が靴を手に持ち裸足で店先を歩いているのを幾らでも見るし、テ・アナウ(Te Anau)のB&Bのおばさんは、可愛がっている羊を呼びに牧草の岡を走って登った時、歩きにくいと、さっさと靴を脱ぎ裸足になって走り出した。これらを見ると、裸足は(ニュジーランド人だけかヨーロッパ系全般かは判然としないが)彼等にとって至極当たり前のことのように見える。
 靴の文化を受け入れた日本で、裸足で歩く人など最近見たことが無いのに、靴の文化を生んだヨーロッパ人が、裸足で歩くのに何の抵抗感を持たないのがどうも不思議で合点がいかない。



(4)へそ
 女性がへそを出すファッションはニュースやドキュメントのTV放送を見ていても世界中で見られるし、日本でも別に珍しいものでは無くなっているが、ニュージーランドに行って、その極端さに驚いた。スカートであろうとスラックスであろうと、前は森林限界ぎりぎりまで下がっているし、後ろは既に尻ではないかと思える微妙な所まで下がっている。歩いているうちにストンと落ちるのではないかと心配になり、手を伸ばして支えたくなる。シャツは寸足らずで、胸を隠しただけで役目は終わっていて、へその周りは巨大な空間ができている。失礼とは知りながら、自然に視線はへそヘと向かう。見ていると、どうもへその位置がおかしい。どのへそも、自分が思っている所よりずいぶんと上のほうに付いているように見えてしょうがない。B&Bでシャワーを浴びたときに、自分のへその位置を確認してみた。別におかしくない。俺のは思ったとおりの位置にある。
 どうやら女性の喫水線が下がったために、へそが取り残されたように見え、それでへその位置が腹の上のほうにあるように見えるらしい。
 へそ1つとっても、自分のバランス感覚と合わないことに違和感を感じ、外国で心静かに生活することの難しさを覚える。

(2009年3月15日追記)2008年末にニュージーランドを再び訪れた。所が、6年前にあれほど見た(いや、見えた)へそ出し女性を1人も見なかった。スカートもスラックスも下がってはいるが、きっちりとへそも尻もカバーされている。6年前の極端なファッションはいったい何だったのか。書いたことがまるで嘘のようだ。当時のコメントは今では全く意味をなさなくなったのを知らされた。ファッションについては変化が激しく、当てにならないことが分かりましたので、今後は書かないことにしまーす。



3.ニュージーランドに無いもの

(1)ガードレール

 60歳で、始めて運転免許を取ったので、それまで外国に行っても、道路がどのようになっているかなど、全く興味もなく、気にもしていなかったが、今回、ニュージーランドをドライブしてみて、日本との違いが色々あるのを知って面白かったが、一番印象に残ったのは、道路を走っていて、全くガードレールを見なかったことだ。
 幹線道路にはもちろん無く、クイーンズタウン(Queenstown)の最も危険な道路として有名なスキッパーズ・キャニオン(Skippers Canyon)の道にもガードレールは無かったし、1500m程度の標高まで一気に登るリマーカブルス(Remarkables)の車道にも転落防止の柵は無かった。また、オタゴ半島の海の直ぐ横を細かくカーブしながら走る道路も、落ちれば即海中だが、やはりガードレールは無かった。
 ダニ―デン(Dunedin)の近くのセント・クレア(St Clair)海岸の砂浜に車で入ろうとした時、舗装道路の終わりに、「この先は、自分のリスクで行け」、という表示がしてあった。砂の吹き溜まりに車輪を取られて動けなくなる可能性があるが、自分の責任で対処をせよ、ということで、「砂浜に入るな」とは書いていない。何処に行っても何々禁止の立て札がすぐ目に入ってくる何処かの国とは少し違うようだ。
 ニュージーランドの山登りは自己責任で行動することが大前提になっているが、車の運転も、どうやら同じ考え方のようだ。山道に柵などは無いが、注意して歩いているから転落などしない。車道も同じで、運転者が注意しさえすれば、ガードレールなど無くても、転落事故は起こらない。きっとこんな考えに違いない、と勝手に解釈してみるのだが、それでもガードレールを見なかったのは不思議でならない。


(2)眼鏡屋

 グリーンストン・トラック(Greenstone Truck)を歩いていてスリップし、バランスを崩して横の小川にはまった。そのとき眼鏡がどこかに当り、片側のレンズが外れ川の中に飛び込んでしまった。下山してから片目ではレンタカーを借りた時に運転ができない。女房も運転するが、何時も助手席では面白くない。
 ということで、Queenstown の町に戻って直ぐ、眼鏡屋を探した。サングラスは何処にでも売っているが、幾ら捜しても眼鏡屋が見つからない。。B&Bに戻り女主人に聞いたら、オコーネルス・ショッピング・センター(O'Connells Shopping Centre)の3階にあるという。行って見たら、目立たない3階の角にひっそりとあった。判らないはずだ。日本なら目抜き通りに一軒や二軒は必ずあるのに、やはり需要と供給の関係か。
 クライストチャーチ(Christchurch)では、サングラスのレンズが外れ、これを入れてもらうのに眼鏡屋を捜したが、このときも、なかなか眼鏡屋が見つからなかった。メインストリートを一生懸命捜したが見つからない、捜すのをあきらめて裏通りの細い路地に入ったところで、偶然眼鏡屋が見つかった。
 ニュージーランドでは、眼鏡屋は直ぐ見つかると思ったら大間違い、眼鏡にトラブルがあった時には眼鏡屋が何処にあるか場所を聞いてから出かけよう。


(3)絵手紙用の葉書

 ニュージーランドの町や山で水彩スケッチをしたが、短い時間で描けるように画用紙は絵手紙用の葉書を使った。クイーンズタウン(Queenstown)で用紙が無くなったので文房具屋に買いに行ったが、大きいサイズのスケッチブックはあるが葉書サイズは置いていない。大きいサイズではなぜ駄目なのかと聞くので、絵葉書の替わりに、絵を描いて送るので葉書サイズのものが必要なのだと何とか説明すると、納得して画材屋さんの場所を教えてくれた。行ってみるとそこにも置いてない。2倍の大きさのものはある。聞いてみたがやはり葉書サイズは無いという。仕方が無いので、半分に切ってもらい、やっと確保できた。
 後日、別の画材屋さんがあり、入って見ると、そこにはちゃんと葉書サイズのスケッチブックが置いてあった。ニュージーランドの南島で売っていたのを見たのはこの店だけだった。但し、日本のように、絵手紙用の葉書ではない。裏表とも真っ白で、Post Card などの印刷は無く、紙の種類も1種類だけでだった。
 どうやらこちらの人は、葉書に絵を描いて送るということはしないようだ。そう言えば、葉書でもらうのは、絵葉書だけで、それ以外は、必ず封書に入っている。カード売り場に行くと、ありとあらゆるお祝いのカードが売っているが、どれも封筒にカードを入れて送るようになっていて、葉書をむき出しで送るものは無い。プライバシーのことなどで葉書では失礼になるのだろうか。絵も描いて送るならきっと封筒に入れて送るのだろう。
 ニュージーランド(他の国ではどうなのだろう)で絵手紙を描くなら、日本から絵手紙用の葉書を余分に持って出発したほうが良い。


4.橋は見ないほうが良い

 ニュージーランドの道路の橋は大抵上下合わせて1車線で、表示に ギブ・ウェイ(Give Way )と書いてある方が待つことになっている。100Km/h でどんどん走って来ても、橋があれば対向車が通過するまで暫く待たねばならない。日本なら土建屋がほっておかない所だが、何が何でも造れば良いという土建屋もいないようだ。
 只、車が走る橋の路面を見ると、えっと驚く。ウォーキングで歩いたクイーンズタウン(Queenstown)のカワラウ(Kawarau)川を渡る6号線の橋も、川を見ようと袂で車から下りたワイマカリリ(Waimakariri)川を跨ぐ72号線の長い橋も、路面はアスファルトが上に塗られた木の板が敷いてあるだけだ。車が通ると、板がバタバタと撥ねあがる。それまで橋を車で渡る度に、何時も変な音がしていたが、何処の橋も板敷きでバタバタ構造の同じ造りのためだったかと合点がいった。
 そう言えば、山で沢山渡った吊橋のステップも殆どが板敷きだったし、その板も半固定で足を踏み出すたびにパタパタと音がしていた。なんのことはない、吊橋も車道の橋も同じように板を敷く構造になっているのに気がついた。これは恐らく一番安全性が高い方法だからに違いないと考えてみたが、車で橋を渡る度に、感じる気持ち悪さは最後まで無くならなかった。
 鉄道の鉄橋はどうか。これにはもっと凄い。クライストチャーチ(Christchurch)とグレイマウス(Greymouth)の間を1日1往復する トランツ・アルパイン(Tranz Alpine)号は観光客に人気がある有名な列車だが、その鉄道のアーサーズ・パス(Arthurs Pass)にある ビウリー(Bealey)川の鉄橋を見た。たまたま散歩で橋の近くに行ったのだが、鉄橋は鉄橋でも、それを支える橋脚は木でできている、それも丸太でできている。
鉄橋の丸太の橋脚

 びっくりして見ていると、西部劇の世界に入り込んだような気分になった。
 後で聞いたところによると、列車を完全に止め、線路の保守点検を一斉にする定期休業日があり、安全確保に怠りはないらしい。それでもまだちょいと心細い気もするが、バンジージャンプの国だ、少々スリルと冒険が無ければニュージーランドではない。トランツ・アルパイン号は、今日も満員のお客を乗せて快調に走っているに違いない。


5.芝生、芝生、芝生

 最近は大分違ってきたように思うが、私が子供の頃は、芝の綺麗な公園には、必ず「芝生に入らないで下さい」という注意書があり、親や先生から何度か、「芝生に入っては駄目!」と叱られていたような気がする。ゴルフは誰にもしかられずに芝の上でプレーができるが、これは高い金を払って芝の上を歩く権利を買ったからできるもので、金を出さないと芝生の上を歩けないと思っている私は、ニュージーランドでも芝生があると自然に避けて歩いてしまう。
 平気な顔で歩いている人を見て、そうか、ここは良いのだと自分に言い聞かせ、ようやく芝生の上を歩き出す。誰はばかることなく芝生の上を自由に歩き、足に伝わる芝の感触の素晴らしさに感激し、ああー、やっぱりニュージーランドだなー、などと言いながら思わず両手を挙げたりしてしまう。
 芝生のある家、芝生の公園、芝生のグランド、芝生と聞けば、ハイレベルをイメージする私にとって、いたる所が芝生のニュージーランドは超高額所得者が住む国と思ってしまう。
クイーンズタウンのアイラム(Ilam)パークの全面芝生のグランド。奥行きはこんなものですが、左右の幅は映っている範囲の3倍はあったと思う。ゴルフボールを打つなという立て看板はあったが、グランドに塀も仕切りも何もなし、何に使っても良さそうです。雨降りの日のせいか、グランドには誰もおりませんでした。
 
 

  6.方角

 ニュージーランドでは良く北と南を取り違えることが多かった。町の中でも、山の中でも良く勘違いをした。
・山では
昼間の太陽の位置が日本とは逆で北側に傾いています。長年身に付いた感覚で、太陽が見える方角は南、と思ってしまうのです。一旦北と南を取り違えると、地図を見て修正しても、直ぐまた元に戻ってしまうことがあります。歩き出す前に歩く方角を頭に叩き込んでおくと、間違いは少なくなるように感じました。

・町中では
山と同じように太陽は北側に傾いていますが、それ以上に民家は日差しが入るように普通北を向いて建てられています。町並みから、いつの間にか北と南の方角を取り違えてしまいます。
 
 もっとも、方向音痴で日頃から方角など考えたことがない女房に言わせると、「そんなこと何が問題なのよ」、と全く意に介してない様子だし、B&Bで一緒になった日本人に南と北を間違える話をしたが、全く興味を示さなかった。もしかすると、俺だけがあれこれ理屈をこねて考えすぎをしているのではないか、と自分を疑ったりして、かえって混乱している。


7.マオリ語と日本語

 ニュージーランドに行って、マオリの土地の名前を見ていて、気がついたことが1つある。

ワナカ(Wanaka),テカポ(Tekapo),テ・アナウウ(Te Anau),カイコウラ(Kaikoura),アオラキ山(Aoraki、Mt Cook), ワカティプ(Wakatipu)湖、マツキツキ(Matukituki)川。

マオリ語の名前が付いている地名や山や湖や川の名前をランダムにあげましたが、アルファベットを見ると、どの言葉にも共通したものがあります。それはどれも、子音と母音が対になっているものと、母音だけのものの組み合わせでできていて、最後は必ず母音で終わるということです。そうです、日本語と全く同じなのです。同じポリネシア民族のハワイも同じではないかと思って地図を見ると Hawaii, Honolulu, Waikiki, Kirauea と、同じ組合せです。
 日本人の起源は、最近のDNA(遺伝子)分析で、南方のポリネシア人の血を間違い無く受け継いでいるとされています。言葉も、もしかしてと思い、インターネットで、「日本語、マオリ語、語源」で検索すると、その関連がバラバラと沢山出てきました。
しかし、どうやら言葉の語順、つまり文法が日本語とはまるで違い、ポリネシア語は日本語の起源にはなり得ない、ということのようで、がっかりしました。それでも、日本語と同じように子音と母音の組合せでできているのは、ポリネシア語しかなく、母音も5つで同じということです。
中には、日本語の言葉や土地の名前にマオリと同じ語源の言葉が有るという説もあるようで、まんざら無縁ではなさそうです。
私達が、もしかしたらマオリと同じ言葉を喋っているかもしらないと思うと、ニュージーランドがぐんと近くなり、さらに親しみが沸いてくるような気がして楽しくなります。
   



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