1.始めて海外の山歩きに出かける迄の
準備とトレーニングの体験記


(1).山の装備購入
 山を歩くには、なにはさておき山の道具が必要と、山の専門店の売り場に行ってみた。ザックを見ても、靴を見ても、ズボンやシャツを見ても、若い時に山登りしていた頃の装備とは、すっかり違っているのに驚いた。全くの初心者と同じく、山登りの「いろは」から勉強し直さないと何を買っていいか分からないと悟り、行先を本屋に変え、先ず山歩きの入門書を買い知識の詰め込みをした。日帰りの山登りに必要な装備を書き上げ、山の専門店に再び行き、店員のアドバイスを聞きながら、夫婦揃って頭から足先までの装備一式をそろえた。しらがだらけのしわだらけながら、めでたくピッカピカの山登り一年生が2人誕生した。 4〜5回の日帰り山登りを経験した後、山で泊るのに必要な装備を揃えることにした。テントを担ぐのは、既に体力的に無理な年齢になってしまったと考え、山小屋泊まりにすることにし、ニュージーランドの山小屋を調べてみると、食事一式、寝具一式が揃ったガイド付きの山歩きと、自分で食料と寝袋をかつぐ山歩きがあることが分かった。私達は、自分で計画を立てて歩きたいという思いがあったので、後者の方法で泊ることにし、調理器具と食器一式、寝袋と大型ザック(60リットルと女房用に40リットル)などを購入し、装備だけはいつでもニュージーランドの山登りに出発できるようになった。 この歳になって、重い荷物を担いで歩くことがはたしてできるのか、山小屋泊りの装備を買ってしまってから不安になってきたが、今まで投資してきた二人分の装備を前にすると、買って使わなくなったらもったいないという貧乏性が後押しして、やるっきゃないと覚悟を決めた。

(2).トレーニング
@朝のウォーキング  
勤めている間は年に数回のゴルフ以外、ほとんど運動することもなく過ごしてきたため、歩くことから始めた。毎朝約1時間、近くの農道を歩くことにした(女房は前からウォーキングをしていたので、この点では心配なし)。新しいウォーキングシューズを履いて、元気に歩き出すと、どうも変だ。道の右側を真っ直ぐ歩いているつもりが、何時の間にか少しずつ道の中央に寄って行く。三半規管が悪くなっているのではとびっくりした。  原因は恐らく、右足より左足が弱くなっていたのに加へ、曲がったら、真っ直ぐに歩くよう矯正するはずの視覚能力が、低下してしまっていたものと思う。視界の利かない山で道に迷い、必死に歩いたら元の場所に戻った(リングワンデリング)という話を聞くが、これも左右の足の力が不均衡なのが原因のようだ。霧で視界が利かないならまだしも、快晴のぴかぴか天気の小道を、真っ直ぐ歩けなくなるほど、偏った仕事人間になっていたのかと、我が人生を振り返り遅まきながら反省した。幸い、歩き馴れるにつれて少しづつしっかり歩けるようになり、自然に正常に歩けるようになった。まだ俺もやれると自信がついた。

A国内の山歩き 
 
先ず、近くの標高1000m前後の日帰り山登りから始めた。歩行時間は、ガイドブックに載っている標準時間の1.3〜1.5倍もかかり、「なんでこんな苦労をしてまで」と登り終える度にぼやいたが、ニュージーランド旅行で見た素晴らしい山の姿とそこを歩いている自分の姿をダブらせて考えると「よし、また登ろう」と意欲が涌き、苦労も楽しさの内と思えるようになった。次ぎに宿泊山登りをし、次のコースを歩いた。
(A)北アルプスの栂池ー白馬ー猿倉縦走コース、食事付きの栂池・白馬小屋二泊の軽装登山。
(B)屋久島の淀川ー宮之浦岳ー新高塚小屋ー縄文杉ー白谷雲水峡の縦走コース、食料、調理器具、寝袋持参で新高塚小屋一泊。



 
 屋久島 宮之浦岳縦走路     縄文杉

(C)白山の別当出合ー南竜ゲ馬場ー白山周回ー別山ー市ノ瀬 の縦走と周回のミックスコース。南竜ゲ馬場で貸しテントに2泊、食料・調理器具・寝袋持参。 これらのコースを歩くことを通じ、食料や装備の点検、ザックのパッキングの方法、重い荷物を背負っての歩行などが、どういうものか確認できたし、歩く速さはおおよそガイドブックにある標準時間の1.2倍から1.3倍を見て計画し行動すれば何とかなることも判った。

B失敗談 
入門書やガイドブックなどを熟読して始めた山登りのつもりでも、初心者ゆえの経験不足と、身体の敏捷さやバランス感覚が若いときと違って、大幅に落ちていることで、トレーニング中にいくつかの失敗をした。恥じをしのんで少し紹介する。
(A)靴ひもはどんな所にいても、しっかり結ぶ
北アルプスの白馬への移動はJRを利用した。家から駅まで歩くのに、登山靴が窮屈なので二人とも靴ひもを上のほうのフックにかけずに、あまったひもをそのまま靴のベロの中に押し込んでおいた。駅がもうすぐの所まで歩いてきて、Mieが突然前のめりにひっくり返り、「イタタター」といってうずくまってしまった。その様子から一瞬、ああこれで今回の山行きは駄目だな、と思ったが、全く幸いなことに腕の打撲と手首を少しひねっただけで済んだ。持ってきた湿布薬が、家を出て十数分ですぐ役立つ手際の良さに、バツの悪い思いで電車に乗った。 原因は靴のベロの中に押し込んでいた靴ひもが、片方靴からはみ出しそれをもう一方の足で踏んでしまった為だ。靴ひもはどんな所を歩こうとも、垂れ下がらぬようにしっかり結ばぬと、とんでもないことになる恐れがあるという痛い教訓。
(B)歩く時はよそ見をしない。景色を見たいときには立ち止まる
同じ白馬に行った時の3日目、大雪渓を下る少し前のガレ場を下山途中、今度は私が足を滑らせ、3〜4mほど下に滑り落ちてしまった。肘をすりむいて、血止めにタオルを腕に巻くという情けない格好になった。新しい登山ズボンがカギ裂きになったが、足の方は軽い打撲ですみ、歩くのには支障もなく、無事大雪渓を下りることができた。 原因は、ちょっとよそ見をし足元を見ず、石の上の砂でスリップし足を取られて転倒したもの。若い時と違い、歳をとってからは、ちょっとバランスを崩すと、元に戻るどころか、戻そうと思えば思うほど、ますます崩れていく。景色や鳥や草花を見る時には必ず立ち止まってから見るように心掛けよう。後ろを振り向きながら歩くのは、バランスを崩しやすく特に危険。
(C)若いときの山登りの経験は、役に立たない

 失敗とまでは言えないかもしれないが、屋久島の宮之浦岳を縦走した時の2日目の終盤、両手の指がぷくぷくと腫れあがり握れないほどに膨れてしまった。始めて重い荷物を背負うので、登山入門書の「正しいザックの背負い方」に書いてあった指導通り、キッチリと肩や胸や腰のバンドを締め、まる2日間忠実にこれを守った。結果、どうやら肩から先の血液循環が悪くなってしまったようだ。直るのか心配したが、下山後数日で綺麗に元通りになり一安心した。 昔、若い頃は、横長のキスリングと呼んでいたザックを担いで歩いたが、腰のバンドや胸のバンドなどは付いておらず、肩のバンドも担いでからキュットしめるなどというかっこいい装置などはもちろん無かったので、ザックを担ぐことすら、過去の経験など何の役にもたたないことを思い知った。 その後の山歩きでは、歩いている間、時々ザックの肩ベルトを両手で持って肩からベルトを少し浮かせたり、肩ベルトの長さを調節してベルトが当る肩の場所を変えたりすることで、ほとんど手の腫れを感じることはなくなった。



(3).英会話
  現地に着いたらどうしても英語を話さなければならない。頭が痛いことだ。もっと若いときにやっていれば良かったと嘆いても始まらない。ホテルに泊まり、買物をする程度なら何とかなるが、それ以上になると聞き取れない、理解できない、話せない。このままニュージーランドに行けば、山に入る前に町の中で行方不明になりそうな気がした。
@英会話教室 
そこで、英会話学校に1年間、週2回通うことにした。最初の半年間は生徒二人に米国人先生の小グループ、後の半年間は生徒6〜7人に英国人の先生の少し大きいグループに入った。小グループの時のもう1人の生徒は女子高生で、私と二人並んで英会話を習う姿はさぞ滑稽であったに違いないと思う。ジェネレーションギャップがあまりに大きく、英会話の定番テーマの趣味、好きな俳優、好きな音楽、映画、昨日したこと、明日する予定のこと、などなど、全てが英語以前の問題で、会話らしい会話にならず、女子高生には大変申し訳無かったと今でも思っている。大グループでは、毎回宿題が出され、提出すると次回までには必ず添削して返してくれる若い熱心な女の先生だったので、久し振りにまじめに「勉強」する機会を得た。記憶力が落ちて、忘れやすくなったこの歳で、1年間やってきた効果はどの程度、と聞かれると、ちょっと困るが、英語を聞く力は少しは上達したように思う。
A英文インターネット
 
もう一つは、必要に迫られてだが、ニュージーランドのインターネットから情報を入手し、それを読むことが、少し英語に慣れるのに役立ったように思う。 交通、宿泊、ビザ取得, 山歩きのコース、山小屋、観光等、できるだけ多くの情報をインターネットで集めた。また、各種予約のほとんどを直接現地に申し込んで確認を取った。分からない単語や熟語を一つ一つ辞書をひいて理解しなければならず、時間がかかり忍耐力が必要だったが、時間は全て自分のものというありがたい身分のお陰で、焦らず慌てずのんびりと進めることができた。 努力のかいあって、最小限のコミュニケーションだけは取れるようになったと思った。が、しかし、空港からB&Bの宿に着いたとたん、B&Bの主人が言っていることが分からず、がっくり。その後は気を取りなおし、同じ人間ではないかと度胸と気力で押し通した。 世間話ができる程の英語ができたらどんなに素晴らしいか、と何時も思う。これからでも遅くはない、とがんばるつもりではいるが、これが一番難しい。


(4).スケッチ
  トレーニングで、山に登り始めた時に撮った写真を見ていて、何か物足りない感じがしてきた。感動した景色を、絵に描くことができたら、もっと違ったものにならないかと考え、屋久島の宮之浦岳縦走に行く前に、葉書サイズのスケッチ用紙と、アウトドア用水彩セットを購入し、持っていった。時間を見ては、山中で何箇所かスケッチした。高校生以来40数年ぶりに画いた絵で、線も、色も、どうして良いか分からぬままのスケッチだったが、民宿に泊まっていたお客さんが、スケッチを見てくれて、「初めてにしてはなかなかの出来だ」と誉めてくれた。
 嘘でも誉められて悪い気がしないのは私も同様で、俺もやれる、とその気になり、月に2〜3回、半年間、水彩画教室に通うことにした。短期間の手習いで上達するはずもないが、画こうとするものを良く観察することが、何よりも大切だということだけは分かった。
屋久島 永田岳.始めて画いたスケッチ
 
   ニュージーランドでは、でき映えは別にして葉書サイズに40数枚のスケッチを画くことができた。旅行者や宿の人と、描いたスケッチを見ながら話をする時は、何時も苦労する英語の会話がこの時ばかりは少しスムースに話せたような気がしたことや、描いた場所を良く観察したので鮮明にその場面が記憶に残っているのが良かったと思う。




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