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カナダで 見たこと、感じたこと
  
日頃からテレビや雑誌の記事などで、カナディアン・ロッキーのことをかなり知っているつもりでいたし、行く前にも、かなりカナダの山やトレイルの内容を調べたつもりでいたが、行ってみると、自分のイメージと違ったり、予想もしていなかったことに遭遇したり、思い込みで失敗したりと、やはり海外の山歩きはすんなりといかないのが面白い。


 (1)トンキン・バレー、ワッテス・ギブソン・ハットの日本手拭

トンキン・バレー (Tonquin Valley) にあるカナダ山岳会のワッテス・ギブソン・ハット (Wates Gibson Hut) に泊った2日目の朝、丸太作りの壁の上のほうに鋲で止めた日本手拭があるのにMieが気がついた。手拭には北国の童の絵が染められていて、「あさがや えちごや」 とあり、次に電話番号が書いてあった。
写真を撮ってこなかったので、手拭の絵のイメージに合わせて描
いてみました。

実物はもっと線がはっきりしていて、かわいらしい絵でした。
前の日、雨の中、人に会うことも無く、3000mクラスの山あいの長いトレイルを歩いてきて、やっとハットに着いたものの、他に誰も来ず私達夫婦2人だけで夜を過ごした。次の日の予定はハットを基地にして、デイ・ハイクをする予定だったが、雨が降り続き朝になっても止む気配が無いのでハットに停滞した。前の日から誰にも会っていないので、この辺りの山奥一帯には誰もいないのかと思うと、何となく薄気味悪く思っていたそんな時に、日本手拭の可愛い童の絵を見てほっとした。おかげで日本の山小屋にいるような気持ちになり、ここでゆっくりしても良いか、という気分にようやくなれた。

どなたが、童の手拭をハットに貼ったのか気になり、日本に帰ってから、手拭に書いてあった「あさがや えちごや」と電話番号を頼りに、インターネットで検索した結果、東京の局番が3桁から4桁になってはいるものの、全てが一致する呉服屋さんが見つかった。住所も分かったので、手紙で、どなたが貼られたかご存知無いか問い合わせをしてみた。

数日してから、越後屋呉服店の年配のご婦人から電話を戴いた。ご婦人の話では、「昔、長岡から来ていた絵の上手な職人がいて、描いた絵を手拭に染め、毎年千本ほどお得意様に差し上げていた」こと。「童の手拭は30年ほど前に作ったもので、皆さんに喜んで戴いたが、時には外国の方にも差し上げたりしたので、どなたが山小屋に貼ったかは全くわからない」こと。「カナダのロッキーに、昔行ったことがあるが素晴らしく綺麗だった記憶がある」こと。「両親が滋賀県の能登川町出身で、戦時中に疎開し、近江八幡市 ( ここは私達夫婦の現住所 ) の当時女学校に1ヶ月ほど通ったことがある」ことなどを説明していただき、「世の中どこかで繋がっているんですねー」と驚かれた様子を話してくれた。

結局、どなたが童の絵の日本手拭をワッテス・ギブソン・ハットに貼りつけたのか、全く分らずじまいだったが、手拭が作られた経過は知ることができた。童の絵の手拭が、遠く離れたハットの丸太の壁に貼られた経過を知ったところで、何がどうなるわけでもないのですが、何時の日か、ひょんなことから分かるのではないかと思い、楽しみにしている。


 (2)カナディアン・ロッキーの山は赤い

カナダに着いた日、カルガリーからバンフへ向う途中、雲が多く山が少し見えただけっだたが、山肌が少し赤味を帯びているように感じた。次の日モレイン・レイクからテン・ピークスを見たとき、素晴らしい景色と同時に、間違いなく山が赤く見えた。あちこちの山を見ても、グレーシャー国立公園の山を除いてはどこも同じで、山肌が赤い。写真でみると、どの写真も茶色には見えても赤くはないので、どんな色をしていたか忘れそうになるが、間違いなく赤かった。

今回も所々で葉書サイズに山のスケッチをした。今まで山肌は青みを帯びたものと決めてかかっていたところがあったので、この赤味がかった山には最後まで悩まされた。山を赤っぽく描くと、山が近づいてきて遠近感が出ないし、高い山に見えない。
アイフェル・ピーク (Eiffel Peak) の中腹から
マウント・フェイ(Mt Fay) とフェイ氷河 (Fay Glacier)
モレイン・レイク (Moraine Lake)も少し見える
カナダのレストランに飾ってある絵や画廊の中の絵を見たが、赤味の中にパープルがかった山肌や、クリームがかった山など色々と表現されていて、遠近感も出ているし鋭く立ち上がった山の姿もうまく表現されていた。
うまく描けるはずだと何度もトライしたが、最後まで思うようにならず、ごまかしの色でやりくりして終わってしまった。カナダの山は歩くのも大変だが描くのも難しい。


 (3)氷河を、次の世代は見られない

スノー・コーチ(雪上車)で氷河の上を走るアイスフィールドのアサバスカ氷河 (Athabasca Glacier) に行かれた方は、氷河の後退の説明を聞いてその急激なことに驚かれたのではないかと思う。
アサバスカ氷河の近くにあるサスカチワン氷河でも後退した様子がはっきりとわかる。何の説明板もなかったが、左の写真の山肌の色が変った所まで、かって氷河があった所ではないかと思う。恐らく100年前までは氷河が盛りあがるように色の変るラインまであったものと思う。想像するだけでも凄い迫力に思える。
サスカチワン氷河 (Saskatchewan Glacier)
20年前にロッキーに行って昨年再訪問した人の話では、氷河が大分小さくなっていたと言うし、今回一週間だけ山を案内してくれたレイ・コダマ氏が言うには、30年前にカナダに来たときと、氷河は大分違ってしまったし、年々小さくなっていくのがはっきり分かる、とのことです。
今はまだ、国道横の駐車場からでも容易に見られる氷河があちこちにありますが、さほど経ない年数で消えてなくなることは間違いないと思います。個人の力ではどうにもならないもどかしさを感じますが、カナダの氷河を見るなら早ければ早いほど良いということです。山は逃げないと言いますが、氷河は逃げます。


 (4)カナダディアン・ロッキーの天気予報は当てにならない

カナダで天気予報は新聞や、テレビや、ビジター・センターで知ることができるが、一日中天気予報を放送するチャンネルがあり、もっぱらこれを見ていた。ただ天気はくるくる変るのに、予報のほうがなかなかついていかないという感じで、せいぜい次の日くらいは当てにしても、2日先、3日先となると確率半々といったところで、あまり当てにできなかったように思う。また、「何時現在の天気」というのも必ず放送していたが、ジャスパーに居た時に、朝から雨で、現在の天気は Overcast と表示された。オーバーキャストとは雨だったかなと思い辞書を引いたら、「一面の曇り」とある。しかし外は雨だ。時間が経れば変るだろうと思っていたが、雨の間、表示はオーバーキャストのままで変ることがなかった。昼過ぎに雨が止み暫くしてやっと Cloudy に表示が変った。表示がいいかげんだったのか、もしかするとオバーキャストとは雨を意味する言葉で、日本語訳の問題ではないかと疑ったり、今もってスッキリしない。
テレビで予報が出る地域も直線で250kmも離れたバンフとジャスパーしかないので、その中間は適当に考えて行動することになる。1ヶ月少し居ただけだが、僅か20kmも離れていないキャンモアとバンフでさえも天気が違うことが多いので、50kmは離れているレイク・ルイーズとバンフでは当然違う天気になる場合が多い。
カナディアン・ロッキーの上空では、北の高気圧と南の高気圧が絶えず押し合いをしているようで、前線が上下するたびに天気が変るようだ。最悪の天気を予想して行動し、良くなれば儲けものと考えるくらいが丁度良さそうだ。



 (5)ヨーロッパ系も温泉好き

日本人の風呂はリラックスする(心身を休める)ために入り、ヨーロッパ人の風呂はリフレッシュする(心身をさわやかにする)ために入ると、どこかで読んで、なるほどと思ったことがある。カナダのロッキーにも温泉(温泉プール)があちこちにあり、どこも人気スポットのようだった。バンフでは、サルファー山のゴンドラ乗り場に行く途中のアッパー温泉 (Upper Hot Springs) に3回ほど行ったが、何時もプールは大勢の人だった。
ジャスパーでは、町から北に1時間ほど車で走った所にミエテ温泉 (Miette Hot Springs) があり、1度だけ行ったが、離れたところなのに、大勢の人が温泉プールに浸かっていた。バンフから西南へ、ルート93号を通り約130kmほど走った所に、最大の温泉地ラジュウム温泉 (Radium Hot Springs) がある。ここは95号線を南から北にドライブした時にコーヒーを飲んだだけの所だが、バンフ方面から次々に車が来て渋滞するほどの道路の混み様だった。特別景色が素晴らしい所でもないので、目的は温泉に違いないと思う。
さほどの景色でもない外の景色を眺めながら温泉プールに浸かるのに何故沢山のヨーロッパ系の人に人気があるのか。中には泳ぐ人もいるが、ほとんどはじっとして、首まで浸かったり、足だけ入れたり、外に出て身体を冷ましたりしている。これはリフレッシュではなく水着こそ着ているが、日本人の風呂の入り方のリラックスと同じではないかと思う。彼らも何時も、どっぷり浸かる風呂に入りたい、と思っているに違いない、というのが私の結論なのだが。



 (6)子供連れの山登り

国際線の飛行機に乗ると、首もすわらない赤ちゃんを抱いたヨーロッパ系の親を良く見るが、子供に対する親の接し方が日本人一般と違うのが山を歩いていても分かる。ニュージーランドでもそうだったが、まだ赤ちゃんを背負子に乗せて山歩きをしている親を良く見るし、乳母車に小さい子供を乗せてハイクをする親もいる。大丈夫かとこちらが心配になるほどだ。小学生程度に少し大きくなった子供連れの家族が山歩きや山小屋に泊る姿はグーンと増えて、どこででも見かける。しかも子供達は例外なく言われなくても準備や後片付けを自分でちゃんとするのには感心する。
日本の山で子供連れはめったに見ないし、そのくらいのの年齢の親が山歩きをしているのも見る機会は少ない。爺と婆ばかりに出会う山に魅力を感じないのか、他にやることが沢山あるのか、仕事仕事で山など考える気もおきないのか、山歩きをする人の年齢をヨーロッパ系と比較しただけでも将来が少し心配になる。
海外のそんな親子連れでも、母親だけと子供、父親だけと子供、つまり片親と子供の組合せが以外と多いのに最近気がついた。離婚した人が多いのか、片親が休みを取れないためなのか、理由は分からないがちょっと気になる。しかし、そんな親子のお母さんは特にバイタリティーがあってすばらしい。キャンプ道具一式を担いで2人の子供を連れた母親とすれ違った時には、思わずその力強さに振りかえった。子供の為に頑張る親を、山で見られるのは何とも楽しい。


 (7)貨車が何両か数えてみたら。
以前から車の時代になっていて、高速道路網が発達している北米大陸では、大陸横断鉄道は既に時代遅れの交通機関になっていると信じていた。またガイド本に必ず出てくるバンクーバーからバンフやジャスパーに2日間かけて行く人気のロッキー・マウンテニア号も1日1本しか走っていないので、カナダで列車が走っているのを見ることなどは無いだろうと思っていた。
所が、カナダに着いてすぐ、車に乗り高速道路を走っていると、近くを並走して貨物列車がゆっくりと走っているのが見えた。車は100kmで走っているのになかなか先頭の機関車が見えてこない。なんて長い貨物列車なんだとびっくりしたが、その後も何度か長い貨物列車に遭い、しょっちゅう走っていることが分かった。
高速道路から町や山歩きのトレイルに入る道路には、踏切が所々あるので、列車が来るのに引っ掛かったら長い間待たされるなーと話をしていて間もなく、ヨーホーのオハラ・レイクの小屋泊りハイクの帰り、踏切の警報音で止められた。来た来た、ガタコン・ゴトンと時速20kmくらいか、もっと遅いか。車から降りて手を振ると機関手が身を乗り出して手を振り答えてくれた。女房が先頭のジーゼル機関車から数え出した。同じ形のコンテナーが延々と続く。女房が100を越え108まで数えた。子供の頃、ローカル線沿線で育った私は、汽車に乗って大きな町に出た時に、長い貨物列車を見て、目を輝かせながら貨車の数を数えた記憶があるが、カナダのこの時は、正に子供に帰ったような喜びを覚えた。
ロッキーを縦断する線路は急な坂とカーブの連続だが、ここを100両以上の貨車をつないで走る列車を何度も見て、時代遅れどころか、カナダの産業を支えている大動脈だと実感した。



 (8)エアータオル と ウォッシュレット

カナダのバンクーバーから成田空港に着いて、なにはさておきトイレに行った。済ませて手を洗っていると、ヨーロパ系が何かを探してうろうろしている。エアータオルはどこだという。ここにはないというと、びっくりしてなんちゅう国かといった顔をしていた。
昔アメリカに出張したときもそうだったが、今回カナダでも、山の中は別にして、トイレのある所、ゴーッと空気が出てくるエアータオルが大抵置いてあった。もし無ければ厚手のゴワッとした奴だがペーパータオルが必ず置いてあった。
エアータオルもペーパータオルも、有れば便利だが、無ければハンカチを取り出して、手をふくのに何の抵抗も感じない私にとっては、成田空港のトイレのこんな所にも、文化のギャップがあったかと驚いた。

トイレついでに、もうひとつ。我が家ではウォシュレットを使っている。尻の穴をお湯で洗い落としてくれる便利な奴だ。これに馴れると、ウォシュレット無しではいくら拭いても尻が綺麗にならず、やたらトイレットペーパーを沢山使うはめになり、そのうち尻が痛くなる問題が起こった。そこで考えて、公衆トイレでは、先ず扉を開けてウォシュレットが無いとわかると、誰も見ていないのを確認し、予めトイレットペパーをちぎり、それを手洗いで少し濡らしてから入ることにしている。幸いホテルやデパートのトイレには最近ほとんどウォシュレットが付いているので、近頃はこの手を使うことは滅多になくて済んでいる。所が、海外となると、ウォシュレットを全く見ない。カナダも例外ではなく、今回も連日濡らしたトイレットペパーの厄介になった。
10年も前だが、海外の便器は構造が違うので、ウォレットが海外では取りつかないということを聞いたことがある。しかし良いものなら必ず取りつくように開発されるはずなので、私は彼らヨーロッパ系が生理的に受け付けないのだと思っている。
歯ブラシがホテルに無いようにウォシュレットもない。口と、尻の穴とでは大変な違いだが、おそらく彼らには、両方とも、それを使うことに何か安心できない恐怖心を感じているに違いないと私は思っている。これも文化の差だと思うが何事も考えていくと奥が深い。


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